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現代美術
 今ちょっとググったんだけど、それらしきものが当たらない。前衛美術の作家で、小さな島を丸ごとオレンジのシートで覆ってしまうというプロジェクトをやった人がいるんだが、名前がわからない。
 その人の画集(といってもプロセスを写した写真だが)を見た(東京の有名書店で立ち読みした)のが私が就職して間もない頃だったような気がするから、30年〜40年前に活躍した人だと思う。もちろん日本人じゃない。シートで覆われた島も、日本の島じゃない。ハワイ諸島とか、とにかく南海の孤島だと思う。

 そんなプロジェクトを実行できたということは、その人がそれなりに権威のある美術作家だったということで、そのプロセスが画集として出版されていることがその証左ではある(グーグルには引っかからないけど)。

 小島をシートで覆い、そしてその後、すぐに撤去し元に戻す。作品としては、それを空撮した写真だけが残っていて画集として出版されたが、それ以外にカタチとして残るものは何もない。真っ青な海に浮かぶオレンジ色の島の写真はそれなりに不思議な美しさがあったが、それは記録であって作品自体ではない。

 じゃあ、この場合、何がこの作家の作品と呼べるのかといえば、島をシートで覆うという行為そのものであって、もっといえば「島をオレンジにしちゃえ」という発想そのものがアートなのだ。
発想そのものがアートだとする考え方は「コンセプチュアル・アート」といって、今の現代美術にもつながっている。
 コンセプトのみが重要だとすれば、作品自体も作品を作る過程もどうでもいいものになってしまう。ところが、われわれはそうして出来上がったものを「作品」として見せられているのだから、訳がわからなくて当然だ。
 むしろ、作家のコンセプトなんて無視して、自分自身がその作品を前にして、あるいはその空間の中に身を置いて、どう感じるかが面白いところだと思う。寝転んでみたら面白そう、とか、ここで踊ってみたら楽しそう、とか。逆に、例えば私がそこで何も感じなければ、その作品は私にとってなんの意味もないことなる。つまり「駄作」ということだな。
by hiroafukasawa | 2009-10-12 18:30 | 雑記帳 | Comments(2)
最近の仕事・チラシ
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iPhoneで撮影。
 最近やったチラシの一部。制作自体は非常にスムーズに進んだ。

 YKKとかTOTOとか、大手の企業はやはりすごいな、と思ったのは、自社で所有している商品の画像をインターネット上で公開していて、ダウンロードできるようになっていること。住宅関連の業者がプレゼンで使えるようにという配慮らしいが、DTPをやっているわれわれにとっても、手間をかけずにきれいな画像データが手に入るのだから非常に便利だ。画像の権利云々より商品が売れることに重点を置いているわけだ。
by hiroafukasawa | 2009-10-09 21:37 | 最近の仕事 | Comments(0)
もっと現実とは何か?
 五感に何ら異常がなくても、それらの刺激を受ける脳に異常があればどうだろうか。その人にとっての外界は、その人だけのものと言えるのではないだろうか。
 人はそれぞれの脳で、なんの疑いもなくこの世界が現実だと認識している。そして、この現実は誰にとっても同じものだと信じている。ところがそうじゃないかもしれない。同じものを見ているはずなのに、脳の中では違うものと認識しているかもしれない。
 現実に対してバーチャルと言うが、現実も実は、それぞれの人の脳の中で作り上げたバーチャルなものだと言えないだろうか。「マトリックス」みたいな話だけど、マトリックスは肉体が別の場所にあった。肉体が置かれたその環境の中でも、現実は脳が生み出したバーチャルかもしれない、というところが違う。
 昔から死の恐怖を和らげるために「世界がなくなるんだと思えばいい」というような言い方をするが、実はこれ、核心を突いた表現だと思う。

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 デジタル1眼で撮影

 久しぶりに山梨にも台風が来たが、朝9時頃には陽が差してきて虹が出ていた。風は一日中、強かった。
by hiroafukasawa | 2009-10-08 20:02 | 雑記帳 | Comments(0)
現実とは何か?
 日本人は緑という色に敏感で、たくさんの緑色を識別できる、というようなことを以前聞いたことがある。黄色っぽい緑から青っぽい緑まで、明るい緑から暗い緑まで。
 これは黄色じゃないか? これはどっちかと言えば黒だろう? みたいな微妙な話もあるだろうが、普通の緑を「これは緑だ」と決めるのは誰が決めるんだろう。
 「目で見る」というが、実際には目は光の情報が素通りするだけで、「緑だ」と判断するのは脳だ。それぞれの人のそれぞれの脳が「緑だ」と認識するのだが、その緑が全員同じ緑なのだろうか。
 色覚に障害があって、目が正しく光の情報を伝えられずに緑が茶色に見える人には、緑かどうかわからない。たまたま多くの人が健常者と呼ばれ、緑を緑と認識できるのだが、みんながみんな緑と赤が茶色に見えたら、この現実はわれわれが見ている現実とは違うものになってしまうのではないか。

 人間は五感で現実を受け止めているが、それはそれぞれの脳が判断しているあやふやなもののような気がする。
 世界中に人間が5人しかいなくて、それが盲目の人、聴覚障害の人、味覚障害の人、そして例えば鼻が犬のように敏感に効く人、皮膚の痛点が何倍も敏感で、風が吹いても痛いと感じる人、だったら、そこにある現実とは一つのものだと言い切れるだろうか。
by hiroafukasawa | 2009-10-07 19:07 | 雑記帳 | Comments(0)
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iPhoneで撮影。
 こういうのを昔、CD屋さんなんかで配っていたの知ってるかな。ケースとCDの間に入れて、CDの表面を保護するもの。意味があるようなないような。要するにお店のPR用グッズだ。
 ところで、「CDの表面」って言うけれど、どっちが表なんだろう。いろいろ情報がプリントされている方が表のような気がするけれど、こっちは「レーベル面」という名がついている。反対側の光る方は「記録面」。CD-Rだと「記録面」はしっくりくるけど、音楽CDだと変か? いや、おかしくないか。・・・ま、どうでもいいか。
 ちなみに、CDはレーベル面側の方から傷をつけても読み取れなくなるそうだ。ボールペンなんかで書き込んだりするとアウトらしい。
by hiroafukasawa | 2009-10-07 00:34 | 雑記帳 | Comments(0)
もっと強く、もっとメリハリを
 油絵を描いていて、もうそろそろ仕上がりだな、と思う頃、うっかりすると画面が弱くなっているときがある。全体をまとめようとするあまり、無難な色ばかりを使ってしまうからだ。
 あ、これは私の話ね。他の人のことは知らない。
 で、仕上がってきたなあと眺めていると、なんか物足りない。全体的に何か足りない。そこで、あえて強い白とか赤とかを塗ってみる。その赤に合わせて全体を塗り直す。

 デザインの仕事では、よくありがちなのは「強調したいところを強くする」ということで、目立つ色にしてみたり、白抜きにしてみたりする。ところが、ここも強調したい、あそこも強調したい、ここが強調されているんだったらこっちも強調しないとおかしい、みたいなことになってきて、気がつくと“チンドン屋”みたいなデザインになっている。つまり、部分でしか見ていないということ。
 そこはグッとこらえて、全体の中でメリハリを考えて強調のバリエーションを考える。
by hiroafukasawa | 2009-10-05 19:38 | 制作 | Comments(0)
安野さんの作品
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iPhoneで撮影。一応、著作権のこともあるので敢えて斜めから撮った。
 先日、新聞に載っていた宝島社の広告。見開きで、片面全頁がイラスト。大胆。
 漫画家の安野モヨコ氏の作品。元気で忙しくてはつらつとした女性像。腕が4本ある。
 男女共同参画とかいって、女性の地位をもっと高めなくてはいけないという国を挙げての政策だが、現実はなかなかそうはいかないようだ。政治家も会社の役員もたいてい男だ。
 それでも今の女性は元気だ。男性と同等にならない社会的な壁を逆に利用して楽しんでいる風でもある。おばあちゃんは生き生きしているし、おばちゃんは元気だし、若い人はきれいになった。
 そんな「今に生きる女性」のイメージを上手に表していて印象的なので、写真に撮ってみた。

 ある意味で、私が油絵で描いている作品と似ている。
by hiroafukasawa | 2009-10-02 19:01 | 制作 | Comments(0)
立場の違う人のこと考える4
 立場が違うと言い出せば、自分以外の人間は全てそれぞれの立場で生きているわけで、それは結婚相手であろうが、親兄弟、実の子どもまで同じこと。
 子どもの頃、おふくろに「人の身になって考えなさい」と怒られた。今、親になって同じことを子どもに言っているが、親だって子育てをしている以上は子どもの身になって考えなきゃいけないわけだ。それを赤ちゃんの頃からやっているわけだから、3歳、4歳、小学生にもなれば、とりわけ意識することもなく「この子、なんでこんなこと言ってるんだろ」と考える習慣がついている。
 よく「子どもを一人前にまで育てて初めて親が立派な大人になる」みたいな言い方をするけれど、それも一理あるなと最近思う。

 つまりは思いやりがなければいけないということ。
 さらにいえば、慈愛の心。
 そんな心を育てないまま大人になってしまった人が増えている気がする。

 1年半にわたって続けてきたこのブログだが、最後にそんな思いを伝えて筆を置こうと思う。




・・・なんてね。
by hiroafukasawa | 2009-10-01 19:15 | 雑記帳 | Comments(0)