カテゴリ:雑記帳( 581 )
焼き鳥丼
先日見た夢。

かつての九龍城のようなところへ、写真を撮りに行った私。そこは暗くて狭い部屋がいくつも連なる感じの建物で、畳が敷いてあったので、もしかしたら日本かもしれない。あまりにも汚れているので、土足で畳に上がるのに何の躊躇もいらない。案内人がいるが、何を撮影するかはわからない。
部屋の中を一瞥したところで、ちょうどお昼時になったようで、案内人が「焼鳥屋が来た」とテンション高めに言う。「君も食べるといい」というので、その焼鳥屋を見てみると、手にはご飯が入った丼を一つ持ち、その上に焼き鳥がてんこ盛りになっている。変な売り方だなと思う間もなく、どこからともなく現れた人達が、その焼き鳥を1本、また1本と取っていく。「焼き鳥はばら売りなのだ」という。
私が「1本、いくらですか」と聞いても、焼鳥屋は答えない。もう一度聞いても答えない。私は、ばらではなく焼き鳥丼として食べたかったので、本数を計算しなければならない。だから1本いくらかと聞いているのに、一向に焼鳥屋は答えず、ニヤニヤしているばかり。とうとう腹が立って、大きな声で「1本、いくらなんだ、オイ」と怒鳴ると、やっとこっちを見て「私どもは、お客さんの言い値でやってます」と答えた。こっちが値段を決めろと言うのだ。見た目、そんなにいい焼き鳥じゃないし、80円、いや70円でいいか、と考えているうちにも、丼の上の焼き鳥は1本、また1本と減っていく。だから、焼き鳥がいま7本で、ごはんがだいたい100円として・・・、と計算しているうちにもまた1本減っていく。これじゃ計算が出来ないじゃないか、とイライラしているうちに、とうとう4本になったので、「もういい」と叫び、500円硬貨を渡して丼ごとぶんどった。くやしいのでお釣りをもらおうと、焼鳥屋が小銭を握りしめていた手を強引に開かせた。すると、驚くほどの硬貨がバラバラとあふれて、汚い床に散らばってしまった。
もう、全てがめんどくさくなった私は、おもむろに丼の上の焼き鳥に目を落とした。それはなんとなくブニョブニョした、色も灰色がかった、本当に鶏肉か?、いや、そもそもこれは何かの肉か? という代物がくしに刺さっていた。

タレがかかったご飯は美味しそうだった。




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by hiroafukasawa | 2018-08-01 14:22 | 雑記帳 | Comments(0)
らくがき
 藤原宮や平城宮で出土した、1300年くらい前の木簡の中には、役人たちの落書きが残っているそうだ。(例えばこんなサイトを参照)。木簡の切れ端に上司とか同僚の顔を描いたりしていて、これが妙にいい感じだったりする。

 子供の頃はマンガを書くのが趣味で、絵の勉強を始めたのも、マンガが上手に描けるようにとの思いからだった。高校生になって油絵を描き始めて、油絵の方が面白くなって、まあ、現実問題として漫画家になるなんて夢を追っていてもしょうがないと思ってきて、それでも油絵は描き続けて40年になった。
 近年、作品を描くに当たって、自分の中に何があるのかと探索するに、若い頃に嬉々としてマンガを描いていた事実を掘り起こし、油絵とマンガの融合というか、油絵にマンガの手法を取り入れるなどしてきた。そうすることで肩の力を抜いて描くことが少しずつ出来てきた気がするが、さらに「マンガもいいけど、いっそ、落書きでいいよね」みたいな気になってきた。

 ずっと、上手いとかキレイとかより、面白い絵を作ろうとしてきた。私が面白いと思うものを、他の人が面白いと思ってくれるかどうかは分からないけれど、まず自分が面白いと思えるものを作れるというのが美術の醍醐味なので、画業(?)50年に向けて、少しずつ進んでいこうと思う。



 


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by hiroafukasawa | 2018-04-23 16:00 | 雑記帳 | Comments(0)
知らないおじさんからバナナをもらった
先日、少し暖かくなってきたので体を動かそうと、近くの川に架かる橋の橋桁を使ってテニスの壁打ちを一人でやっていた。3時頃、のどが渇いたので自販機まで歩いていき、橋の下に戻ってくると、他県ナンバーのクルマが、壁の前に横付けしていた。そして、おじさんが一人、なにやら荷物をいくつもベンチの上に並べている。別のベンチには、ラケットやらボールやら、私の荷物が置いてある。おじさんもそれを見ているはずだが。
「あの、私、ここで壁打ちをやっていたんですけど」というと、
「ああ、そうですか。ちょっと昼ごはんを食べる間、いいですか」という答え。
「あ、ええ、いいですよ。私も休憩しますから」といって、買ってきたスポーツドリンクを飲み始めた。ところがおじさんは、なにやら不思議な機器とカセットボンベを荷物から出して組み立てはじめた。「はあ?」と思う私。昼ご飯というから、コンビニ弁当とかおにぎりだと思ったら、バーナー出して煮炊きかよ!! 荷物から出した鍋に水を注ぐおじさん。もしかして、ものすごく時間がかかるかもと思った私は、思わず「な、何を作るんですか?」と尋ねる。すると、「ラーメンです」という。
そうか、インスタントラーメンか。見ていると5つ入りくらいのラーメンの袋が出てきた。あれだな、奥さんが素晴らしくて、料理は必ず手作りで、インスタントラーメンが食卓に上るなんて有り得ない家庭の旦那なんだな。でも、このおじさんは西島秀俊とは対極の見た目だ。残念だ。しかも、よく見たら「マルちゃん正麺」だった。
ラーメンが出来上がるまで、住まいは他県だが奥さんの実家が山梨であること、キャンプが好きで奥さんの目を盗んでは出かけ、一人でこうした時間を楽しんでいること、当てもなくドライブしていて偶然この場所を見つけ何度も利用していること、カメラが趣味で、他にもボランティアやらなにやら色々なことをやっていて時間がないこと、などなど、問わず語りに話すおじさん。途中、車を壁の前からどかしてくれたが、すぐ横でラーメンを食ってる人がいるのに、壁打ちが出来るだろうか。
おじさんは、ラーメンと、スーパーで買ってきたであろう単品のトンかつとおいなりさんを平らげ、
「もうすぐ定年退職で、いまから楽しみなんですよ」と言うので、
「趣味がなくて、定年後に何をしていいかわからない人が多いそうですよ」と言うと
「そんなのあり得ませんね」と胸を張った。
最後に、邪魔をしたおわびのつもりか、バナナを1本くれた。
「コーヒーを湧かしてごちそうしたかったんだけど、豆を忘れたようで・・・」

おじさんが去った後、30分ぐらい壁打ちをしたら、もう夕方で、寒くなってバナナを手に家に帰った。


 


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by hiroafukasawa | 2018-02-28 19:09 | 雑記帳 | Comments(0)
日本のキャンバスのサイズ
日本のキャンバスのサイズと面積をまとめてみた。

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by hiroafukasawa | 2017-10-27 16:13 | 雑記帳 | Comments(0)
小品制作
 最近、また小品を描き始めた。木枠を大量に買い込み、ロールキャンバスの半端をやりくりし、さらにはカミさんが昔描いた絵をはがして布を再利用し、気がつくと3〜40点くらいのキャンバスが進行中になった。アトリエに置ききれないほどある。乾いている絵は重ねてしまったりして、それを忘れて「あれ、こんなところにも描きかけの絵がある」なんてことも。
 そんななか、自分的には明らかに描きかけなんだけど、現状で「なんかいい感じ」の絵が2、3点ある。そういう絵は、これ以上手を加えるのが怖くなる。しばらく温めておくことにしているが、タッチも雰囲気も他の絵とは違うので、このままサインも入れられずにお蔵入りしてしまうような気もする。

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by hiroafukasawa | 2017-10-24 12:53 | 雑記帳 | Comments(0)
終戦の日
 終戦の日ですね。
 北朝鮮は、グアムにミサイルを落とす計画を立て、日本ごときは消し飛ばしてやる、みたいなことを言っているようです。
 幸せの国・ブータンの土地を中国が侵略しています。友軍のインド軍と中国人民解放軍とが、今にも戦線を開きそうな気配です。南沙諸島はご存知の通りです。

 テレビでは天皇陛下や安倍首相が、戦争を反省し二度と戦争を起こさないようにと語っています。その通りです。でも、この72年間、ずーっと反省し続けている日本に、さらに「日本は戦争をするな」「反省が足りない」「もっと反省しろ」という人達がいますね。「ミサイルが飛んできても迎撃してはいけない」とか言う人達もいて、頭おかしいんじゃないか、と思います。

 そんなに戦争を憎むなら、しきりに反省している日本じゃなくて、中国共産党と北朝鮮に言ってもらえませんかね。

 なぜ、それができないのでしょうか。反戦は、おとなしい日本相手ならビジネスになるが、中国共産党や北朝鮮相手では腰が引ける、ということなのでしょうか。それとも、「反戦」を叫んでいる人達は、日本を弱くしておきたいとの思惑のある、中共朝鮮の回し者なのでしょうか。
 まあ、国内の中国大使館とか、北朝鮮のなんかそういう組織とかの前でデモやってシュプレヒコール上げても、相手にされないでしょうけどね。「日本人があれだけ訴えているんだから、少し考えてみるか」なんてことはないでしょう。中国や朝鮮を日本の物差しで測ってはだめですね。見た目は似ているけど、中身は別物です。日本人同士なら通じる話も、通じないことばかりです。

 振り子は左に振れれば右に戻ります。大きく左に引っ張れば引っ張るほど、大きく右に振れます。必要以上に反戦を叫ぶことが、逆に戦争への道を開くような気がして怖いです。

 「安倍は戦争をしたがっている」なんていう根も葉もない噂じゃなくて、中共朝鮮が、今、実際に何をしているかに注目すべきだと思いますがね。それに対して何をすれば最善なのか。ただし、相手は話が通じませんよ。話が通じれば、もっと早い段階で何とかなったはずですから。


 

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by hiroafukasawa | 2017-08-15 13:16 | 雑記帳 | Comments(0)
第27回スクエア展
 「第27回スクエア展」が終わりました。今年は仕事が忙しくて、最低限の準備しかできず、SNS関係に情報をアップするのも少なかった。(どれ程の効果があるかわからないが)とりあえず反省。

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by hiroafukasawa | 2017-06-27 12:53 | 雑記帳 | Comments(0)
竹原ピストル 追記
 この前、竹原ピストルの話で、歌は「チープ」と背中合わせと書いたけど、これは、抽象画などがある程度認められる絵画と比べて歌は、という意味であって、竹原がチープと言っているわけではないので、誤解なきよう。
 中島みゆきの「ファイト!!!」歌っている動画があるけど、これなんか鳥肌ものだよね。

 CDも買っちゃいました。

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by hiroafukasawa | 2017-05-27 10:54 | 雑記帳 | Comments(0)
靴底
 20歳だったか21歳だったか、交通事故で右足を骨折して、以来、右足首は左足首に比べて曲がる角度がいまいちで、筋肉も右足の方が少なくて細い。利き足も左になった。
 最近、太ってきたのでなるべく歩くようにしている。お昼のお弁当も、わざわざ離れた店に歩いて買いに行ってみたり。今日、たまたま靴の裏を見たら、驚いた。
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 上が右、下が左。左足の靴底の方が、明らかに見るからに減っているのだ。この減り具合の不均衡は異常だな。
 手もそうだ。前を向いて歩いている自分の視界に、自分の手が入り込む。右、左、と交互に視界に入る自分の手を意識したことがあるだろうか。あるとき、私は気付いてしまった。「あれ、右の手の方が振れてない」。普通に歩いているつもりで、右手も左手も同じように振れていると思っていたのに、明らかに左の方が大きく振れて、右手は視界の隅にギリギリ入る程度。
 なんとまあ、アンバランスな体になってしまったものだろうか。


 



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by hiroafukasawa | 2017-05-24 08:46 | 雑記帳 | Comments(0)
竹原ピストル
 テレビを見ていたら、今注目のシンガーソングライターの竹原ピストルがスタジオライブをやっていた。その番組の中で竹原ピストルは「俺だけにしか歌えない歌を歌いたい」という趣旨のことを言っていた。また、「お客さんに『感動した』と言ってもらえるのはとても嬉しい。だけど結局、何のために歌っているかというと、自分が歌うのが好きだから」とも言っていた。私もテレビの前で、「そうそう、絵も一緒」とか思い頷いていた。
 音楽に関しては門外漢ではあるが、歌というのは、誰もがわかる言葉と文脈を、誰もが不快に思わないメロディーに乗せなければ、多くの人を感動させられないと思う。歌は、100人集めたライブならば100人に感動を届けることを目指すでしょう。でも、この「誰もが」というのは「チープ」と背中合わせなんだよね。その点、竹原ピストルはその声でずいぶん助けられていると思う。
 つまり、自分が歌うのが好きだからと言いつつも、言葉をメロディーに乗せている限り、宿命的に「誰もが」を意識しなければならない。
 絵も似たようなことが言えるけれど、歌に比べたら、ライブ感のない絵にそもそもそれほど人を感動させることができるのかっていう話もあって、極端かも知れないが例えば個展会場に100人の来客があったとして、その内の1人でも感動させることができれば成功かも、と思ったりもする。

 一方、新聞に、歌人の川野里子さんの講演の再録が載っていて、その中にこんな言葉があった。少し長いが引用すると「短歌には二つの方向性がある。一つは、私たちが生きる荒海のような時代の奥まで潜り、何が起こっているのかを最先端の感受性でしっかりと読み取ること。もう一つは、その荒海の底から浮上して、人間の根源的な存在の温かさや美しさ、深さと出合い直し、もう一度つかみ取ろうとすることだ。その二つが相互に働き合いながら、人間というものをさらに深い眼差しで見つめ、表現することだ」。
 難解かも知れないが、私はとても共感を覚えた。私なりに要約すると、「まず現代社会を現代人の感覚で捉えること。そしてそれを踏まえて普遍的なものへ昇華させること」というような意味だと思う。この方のがすごいのは、そもそも形から入っただけの普遍性など相手にしていないところ。

 絵もね、きれいな風景や美しいモデルさんをきれいに写生するとかは、普遍的な美のテーマかも知れないけれど、「誰もが」わかる絵である限りはチープで面白くないと感じてしまう。だからといって、何のバックボーンもなく抽象画に飛びついても、観る人に説得力を持って感動させることはできない。もちろん独りよがりの絵には何の感動も覚えない。
 一旦自分の中に潜り、底まで行って、そこで何かを見つけて、もう一度浮かび上がって画布に向かう。それを繰り返して、やっと1枚2枚、人に感動を与えられる絵ができるかどうか・・・。

 凡人の私は、自分の中に潜ってみても何も見つけられず、どこまで潜れば底なのかもわからずにいる。そもそも潜ったつもりでいるだけで、実は荒海の海面に近いところでただ一生懸命、手の届かない底を探しているのかもしれない。そうやって探し続けて、一生を終えるのかも知れない。



 

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by hiroafukasawa | 2017-05-20 16:25 | 雑記帳 | Comments(0)