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ベルギー近代絵画
 昨日はうっかり更新するのを忘れてしまった。だからというわけではないが、今回は長文。

 油絵は、高校時代の部活動を含めれば、もう30年以上描いている。まあ、30年と言っても毎日描いているわけではないので、密度でいえばスカスカだが。印象派に始まり、大学の終わりにはセザンヌやピカソらのキュビズムに影響され、卒業後はボナールの絵にあこがれ、そんな絵を描いて20年以上を費やしてしまった。今の絵のように、現代の生活の中にテーマを見つけて作品を作るようになったのは、ここ10年くらいだ。初めの20年をはしょって、せめて大学卒業ぐらいから今のような「仕事」をしていたら、今頃もうちょっと立派な絵を描けていたかもしれない。

 スクエア展初日、朝10時過ぎには準備が終わり、正午開場まで間があったので、県立美術館特別展示室で開かれている「ベルギー近代絵画のあゆみ」を見てきた。バルビゾン派から印象派、点描の後期印象派、そしてフォービズムまで、様々な作家の絵が並び、なかでもボナールはとても良かった。
 でも、こうした展覧会を見ると、「こういう絵を描いている人、今でもたくさんいるなあ」と思わずにいられない。逆に言うと、「今絵を描いている人のほとんどが、100年前、120年前の画家とほとんど変わらない仕事をしている」ということだ。100年前の画家たちは、100年前にあの絵を描いたから名を残せたわけで、なんで今を生きる画家が100年前の絵をなぞらなければいけないんだろう。
 実は、同じことを10年以上前、私の個展に訪れた画家の方に言われたのだ。「100年も前の画家の絵を真似して何が面白いの?」と。素直な私は「ごもっとも」と思い、そこからテーマを変えた。
人の心を縛る見えない境界線を「枠」と表現したシリーズや、肩を抱き合いながら歩く男女が、それぞれ別の相手と話している様子などを描いた「携帯電話シリーズ」、そして今の「ちょっと危ないオタッキーな連中」など。

 ある作家がスクエア展を見に来てくれた。その方が、私の絵を見ながら、「私も携帯電話を題材に絵を描こうかと思ったんだが、携帯電話やパソコンには普遍性がないので二の足を踏んでいる」というようなことを言っていた。私は「普遍性なんて、絵を描く前から考えたってしょうがない」と答えた。今、描きたいと思ったら描けばいいじゃないか。その人の絵はどうか知らないが、私の絵なんか100年後に残るはずもなく、そんな絵に普遍性を求めること自体ナンセンスだと思った。

 結局、絵はその人自身を映す鏡なのだから、例えば自らの死を身近に感じた人は、自ずと祈りとか恐怖とかを描けるのだと思う。自然の中で暮らす人は、自然と対話するような絵を描けるわけだし、毎日幸せなら幸せな絵を描けばいい。自分の中から描きたいと思うものが出てきたなら、それを描けばいい。例えば、大きな公募展に入選するためだけに絵を描くとか、売るために売れそうな題材だけを選んで絵を描くとか、絵画教室を開くために日展を目指すとか、そういうのはなんか違うと思う。
by hiroafukasawa | 2009-06-23 20:31 | 制作
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