2015  年末
 年末進行で休日出勤して、今日の分は一応終わったので、軽く更新です。
 相変わらずの毎日、相変わらずの年末です。
 さて、年内に書き込みができるかどうか。
 というわけで、皆さん、良いお年を。
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# by hiroafukasawa | 2015-12-20 18:41 | 雑記帳 | Comments(0)
「助けに来ました」と作為
 未発表で、たぶん今後も実物を展示することはないと思われる作品。
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「助けに来ました」 F6 油彩 2012年

 抽象的な星空の絵を描いていたのを、うまくいかなくて潰した。しばらくほっといたら、そこに顔が浮かび上がった。いや、本当に浮かび上がってきたらオカルトだけど、要は、私がその画面に顔のようなものを見つけた、ということ。ちょうど、テレビで映画「エクソシスト」みたいなのを見た後だったので、「あ、黒い服を着た神父だ。困っている人を助けに来た神父さんだ」というイメージが固着した。
 私はキリスト教徒でも何でもない。なんか廃墟みたいな不気味な建物とか藪とかを撮った写真の中に目と鼻と口に見えるところを探して、「霊が写り込んだ」とかいうのと同じようなものだ。

 どんどんオカルトっぽくなってくるが、そういう話ではない。

 で、人物に見えるように手の平を加え、肩を出し、髪を足した。だけど、顔に筆を加えるところでためらった。でたらめに塗りたくった画面の中に人の顔を見つけた、その面白さを筆を加えることで台無しにしてしまわないか、と。手を加えることによって、どんどん作為的で面白さが削がれる絵になっていく、そんな未来が見えてくる気がした。
 結局、あごと耳だけ描いたかな。そこでサインを入れて一応の完成にした。だけど、こんな絵では、私のほかの絵と合わない。展示の機会を失い、今後も飾る予定はない。
 別のキャンバスを使って、この作品を写して書き進める手もある。オリジナルは残るので安心できる。だけど、それもなんか違う気がする。偶然の産物に面白さを感じたのに、作為的に写したら、本末転倒じゃないか。
 そもそも、(誰かに見せるために)絵を描くという行為は「作為」から逃れることはできない。でたらめの下塗りの中に顔を見つけたのも、私の中に顔のイメージがあって、それが作為的に働いたと言えなくもない。
 逆に言うと、作為的じゃないものにすべて頼ると、自分の絵にはならない。だから、展示できる絵にならない。
 「作為的なもの」と「作為的じゃないもの」との折り合いが付かないと作品になっていかないということだろう。この絵は、折り合いが付かなかった、ということだ。
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# by hiroafukasawa | 2015-11-23 12:05 | 制作 | Comments(0)
試行錯誤のくり返し
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 描きかけの絵を放って置いて、しばらくしてから眺めてみて、手を加えると突然良くなったり、「ああ、なんかこれ以上描き込んでもダメかな」と思えたり、いろいろだ。
 で、上の画像の絵だけど、もうダメかな、と思った絵の上に、いきなり別の人物を描いてみた。これが「あれ!?」と思えるほどいい感じになった(もちろんこれで完成ではないけど)。

 昔は、ちゃんとまじめにエスキースを作って構図を練って、キャンバスに下書きをして、完成に向かって塗り重ねていった。それがだんだん、その途中の塗り重ねていった段階で面白い表現、面白い効果に気付くようになって、結局、最初に頭に描いていた絵と違う絵が完成することが多くなった。
 それがさらに進んで、まったく途中の段階で、「あれ、この絵、ここで終わってもいいんじゃない?」と思えることが多くなってきた。
 まあ、それがいいんだか悪いんだか分からないが、試行錯誤を繰り返すことで、(自分で描いているのに)思わぬ絵に出合えることがある。油絵の面白いところの一つだな、と思う。
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# by hiroafukasawa | 2015-11-18 18:52 | 制作 | Comments(0)
あそび
 来年の春の出品に向けて、130号のキャンバスを張った。脚立を使ってキャンバスを回しながら「こんなでかい絵、いつまで描くんだろう(描けるんだろう)」とか思いながら張ったのだが、先日、齋藤静輝先生の傘寿記念の個展(ギャラリーイノセント)に伺った際、ご本人から「俺だってまだ130号くらい自分で張ってるぞ」といわれた。傘寿といえば80歳。たいした体力だと思ったが、よくよく聞くとキャンバスを仰向けにして、横から釘を打っているそうだ。「脚立なんか使って、落ちたら死んじまう」ということだが、130号を横にして回す、そんな広いスペースが、ウチのアトリエにはない。庭に出したってどうだろうか、車をどっか他所に駐めてこなけりゃならない。

 キャンバスを張って、次は地塗りだが、最近は真っ黒に塗りつぶすのがマイブームだ。で、塗りつぶす前に、ちょっと遊びで描いたのがこの顔。下書きなしで、線描はほとんど一筆描き。最初は目だけ描いた。
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唇がちょっとゆがんでるのがご愛敬。

 写真だけ撮って、この後、全部黒く塗りつぶしてしまった。
 遊びだけど、こういうのも面白いね。
 実は、書道のような筆の線というのが最近お気に入りで、今年の山梨県民文化祭には、そんな人物画を出す予定。
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# by hiroafukasawa | 2015-10-07 11:38 | 雑記帳 | Comments(0)
なんかちがう
 先日、ある方の作品展を見て来ました。大作が並び、形も色も独特な解釈があり、画面が平面化され、バルールも合ってるし、とてもいい「仕事」をされていると思いました。ただ、何かが違うのです。画面から感じられる何かが。
 会場を出て、車を運転しながら考えたのですが、たぶん、バルールが奥に行っちゃってるんじゃないか、と。つまり、額があって絵の表面があって、絵の中の空間がある、その空間が少し多い気がするのです。
額と同じ面に絵画空間を揃えると強い絵になるのに、バルールが少し弱く合わせてあるので、奥に見えるのです。
 言葉で説明するのが非常に難しいのですが、例えていうと、額の中に足を入れると、画面との間に人が一人分ぐらい立っていられるほどの空間がある、というような。
 余計わかんないか…。
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# by hiroafukasawa | 2015-10-06 15:24 | 雑記帳 | Comments(0)
130号
 台風の影響で、今朝からすごい雨だったが、今は晴れている。もう、日本海に抜けていってしまったのだろうか。

 9月4日に、やっと夏休みを取ってくつろいで、5日に130号のキャンバスを張った。ちょっと湿気がある日に張った方が、あとあと布がピンと張れて気持ちよく描ける。
 ただ、今回はちょっと失敗があった。
 ロールの布を切って、木枠に貼り付けるのだが、木枠に押っつけて切ったはずなのに、随分と斜めに切れていて、縦方向の半分近くが引っ張るに引っ張れないほど短いのだ。泣く泣くこれは諦めて、改めて130号分の布を切って張り直したわけだ。
 短く切ってしまった布も、より小さいサイズの木枠に張ればほぼ無駄なく使えるのだが、やはりもったいないことをしてしまったと、とても悔やんでいる私がいるのであった。

 ああ、それと、東京五輪のエンブレム、結局白紙になってしまいましたね。まあ、つまらない工作みたいなことをするよりも、はじめから公明正大に選べばよかったんじゃないかと。随分と無駄な金を使ってしまって、もったいないことをしてしまったと悔やんでいる皆さんがいることでしょう。
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# by hiroafukasawa | 2015-09-09 15:44 | 雑記帳 | Comments(0)
エンブレム
 たまには更新しないと。

 例の、東京五輪のエンブレム。パクリだとか仕方ないとか、こっちも白紙に戻せとか、いろいろ言われているけど、こちとら田舎の商業グラフィックデザイナーとしては、正直「どうでもいい」かな。今、お盆前で、いろいろ忙しいし。
 そうは言っても、何も思うところがない訳じゃない。

 最初に見たとき、なんかチープだな、と思った。そして、なんか古くさいかな、とも思った。

 昔、コピー機もない時代、ロゴやマークをどうやって複製していたかというと、全体の比率はこうで、この幅は全体の何%で、ここのアールは、この中心から半径がこのくらいで、と細かく指定がしてあって、それに沿って描けば同じ物ができるはず、という感じだった。製図の知識と技術が必要だった。
 今、デジタル時代で、ちゃんとしたデータを手に入れられれば、寸分違わぬロゴを使うことができるし、そんな「製図調」のデザインじゃなくても構わない。それなのにあのデザインは、ガッチガチの製図調で、昭和のにおいがする。
 しかも、四角と大きな円でアルファベットのTを作るなんて発想が、どこにでも転がっていそうなチープさを感じさせる。似たようなデザインがあっても、全然おかしくない。

 かといって、白紙に戻して一から作りなさなければいけない、というのもどうだろう。チープというのは、ある意味普遍性があるということで、言い換えれば「世界中に受け入れやすい」と言えるんじゃないか。
 まあね、世界中を探せば、どんなデザインしたって似たようなものはあるだろうし、「他に類を見ないない斬新なデザイン」なんて、今の時代、実際には作るのは無理だと思う。

 個人的には、もっと日本テイストでよかったんじゃないかと思う。サクラの花を筆(のタッチ)で描くとか。デジタル時代だからね、製図で書けないデザインだってOKなんだから。
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# by hiroafukasawa | 2015-08-05 13:02 | 雑記帳 | Comments(0)
山梨の公募展
 先日、山梨美術協会展を観てきました。今年で78回目。
 山梨県内には、代表的な公募展が4つか5つある。で、そのほとんどが、絵画を油彩、水彩、日本画、版画に分けて作品を募集している。随分長く、このやり方を続けているようで、伝統といえば聞こえはいいけれど、果たして現代の絵画事情にあっているのだろうかと疑問になる。つまり、同じ絵画なんだから、同じ土俵で審査すべきではないか、ということ。ただ、版画は、技法が多岐わたることや、大きな作品をつくるのが難しいこと(油彩や水彩は100号制限)を考えると、版画に詳しい審査員を集めて別に審査してもいいと思う。
 だけど、ほかの油彩、水彩、日本画はどうなの? アクリルやミクストディアをどう扱うの? 絵の具や支持体で絵をジャンル分けすることに、何の意味があるの?
 あと、会員も、油彩の会員とか水彩の会員とか各ジャンルで分けられている。水彩の会員は、油絵を出品してはいけないようだ。つまり、水彩で出品して審査を受け、賞を取って会員になったら、その人はいつまでも公募出品時の水彩にしばられる。油絵に転向したくなったらどうするんだろう? ヒラ出品からやり直すんだろうかI?

 でもね、山梨の出品者の油彩と水彩と日本画を見比べるとわかるけど、これを一つの土俵で審査したら、大変なことになるね。
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# by hiroafukasawa | 2015-07-08 17:14 | 雑記帳 | Comments(0)
絵画の最先端って?
 絵画の最先端って、何だろう? ネットで検索すると、「最先端技術を使った絵画(の解説)」がヒットするけど、そういうものが知りたいんじゃなくて、絵画の進化の頂点が知りたい。私のつたない知識でいうと、コンセプトアートみたいなものとか、マンガやアニメなどのサブカルチャーを吸収したもの、現代美術の範疇で扱われる平面作品など・・・。だけど、一方はコンセプトを説明しないとただの抽象画だし、一方はポップアートとどう区別されるんだ、という話になってしまう。

 美術史をしっかり勉強したわけではないので、おおざっぱな流れしか分からないけど、絵画の変遷がそのまま絵画の進化に思えていて、それは絵画作家個人の作風の進化にも当てはまる気がする。初心者の頃、「作品を作ろう」という意識もなしに、ただ絵を描くことを楽しんだ素朴な絵に始まり、遠近法だのを知って目で見たとおりに描くことを覚え、さらにそれを一旦否定して、作家の感性や印象を前面に押し出した絵になり、それを突き詰めていくと抽象画に辿り着く。
 いや、全ての画家が抽象画に行き着くわけでなく、印象派だったり、シュールだったり、フォーブだったり、スーパーリアリズムだったり、それぞれの画家が選んだ道を深く突き詰めていくわけで、だから現代の絵画は百花繚乱状態になっている。
 それはそれで何の問題もない。ただ、抽象画の先は何かな? と素朴な疑問が浮かんだだけ。やっぱり非対象抽象が最終形態なのかな? とりあえず。わかんないけど。

 書で例えると、わかりやすいかな。最初はお手本をよく見て書く「習字」。「お手本」というのは絵でいうところの「実物」。でも、「書家」とはいうけど「習字家」とはいわないので、習字から書に進化しなければならない。書家の作品にはその書家ならではのオリジナリティや思想とか想いとかが乗っている。でもその作品はあくまでも文字であって、「これはこういう字だよ」と言われれば、なるほどそういう字に見えるレベル。そこも突き抜けてしまうと、もう字でも何でもない、墨と筆による一発勝負の気合いのこもった「表現」になる。そこには具体的な形はなく、見る側の感性に委ねられる。もはや抽象画だ。

 で、何が言いたいかというと、いろいろな展覧会で絵を見て「古くさい絵だなあ」と感じてしまう作品は、たいてい絵画制作のスタンスが印象派以前で止まっている(立ち止まっている)なあ、ということを改めて思った、ということと、一方で、多少バルールに怪しいところがあっても、抽象画の方が新鮮に映るんだな、ということ。
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# by hiroafukasawa | 2015-06-22 17:40 | 雑記帳 | Comments(0)
第25回スクエア展終了
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 6月14日(日)まで山梨県立美術館県民ギャラリー開かれていた「第25回スクエア展」は盛況の内に終了いたしました。会期中、ご来場をいただきました皆様に御礼申し上げます。

 今回の展覧会には、F130号2枚を展示しました(上の写真の左から2枚目と3枚目)。事前にメンバー2人が出品できないことが分かっていたので、予備にF50号を持って行きましたが、展示スペースが一杯になったので持ち帰りました。

 県民ギャラリーはA室とB室が繋がっていて、我々はB室を使用してるのですが、今年はA室も(写真や能面ではなく)絵画中心の展示だったため、相乗効果で来場者が例年の1.5倍くらい増えました。

 さて、今回、私は展覧会期前、仕事が忙しくて、このブログやtwitterに十分な告知をすることができませんでした。しかも、初日(火曜日)、展示が終わった後もすぐに打ち合わせがあったりして、会場の写真も撮れず、気がついたら土、日曜日の残り2日間になっていました。

 まあ、それでも来場者が多かったんで、結果オーライということにします。 
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# by hiroafukasawa | 2015-06-15 16:27 | 雑記帳 | Comments(1)