クロッキー
 たまにはクロッキーをアップしてみましょうか。
 月1回、地元のふれあいセンターでやっているクロッキー会から、最近描いた中で3枚ほど。
 大きな紙にパステルで描くのが最近のマイブーム。

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 今見て、なんか変だと思ったけど、これ、描いてないけどお尻の下に低い台があって、その上に座っているポーズでした。

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 10分間のポーズを2回続けて1回休憩なので、大きな紙1枚に2ポーズ描ける。

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 3枚目の絵は、2ポーズ目は全身が描けなかったので、場所を移動して別角度から描いた。

 パステルは、寝かせて描くと、広い面にパッと色が塗れて、力の入れ方次第で陰影を一度に描くことが出来る。鉛筆よりずっと早い。
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# by hiroafukasawa | 2016-03-29 16:41 | 雑記帳 | Comments(0)
画廊めぐり
 休日出勤しております。鬼のように忙しかった3ヶ月が過ぎ、今日でやっと一段落です。
 今日の仕事も終わったので、午後からは美術館と画廊を巡ろうかな、と。

県立美術館(県民ギャラリー)  東土会
画廊三彩洞 池内孝個展
ギャラリー・イノセント 望月澄子展
iGallery DC 齊藤翔展
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# by hiroafukasawa | 2016-03-19 12:21 | 雑記帳 | Comments(0)
黄色と茶色
 今さらの話かもしれないが、大昔の日本には、色を表す語が黒(玄)、青、赤(朱)、白しかなかったらしい。でもこれは、黒(暗い)、青(淡い)、赤(明るい)、白(しろい:顕い・はっきりしている)という意味で、実際に目に見える色が4色だったわけではない。赤の明るいと白のはっきりしているは、その後、意味と色が入れ替わっていくようだ。で、この4色が方角と、季節に対応しているのだ。黒は北、青は東、赤は南、白は西。中国の神話でそれぞれの方角を守るのが玄(黒)武(亀)、青龍、朱(赤)雀、白虎というわけで、中央には黄龍、あるいは麒麟を入れるらしい。黄龍だと龍がかぶるのでなんとなく落ち着かないが。
 そして、季節は玄冬、青春、朱夏、白秋というらしい。北原白秋の白秋だ。でも玄冬とか朱夏はあまり聞いたことがない。
 さらに日本語では、この4色だけは黒い、青い、赤い、白いという形容詞になる。くろぐろ、あおあお、あかあか、しらじらもこの4色だけだ。「緑い」「紫い」とは言わないし、「緑色い」「紫色い」も言わない。
 そう、ここで気になるのは、黄色と茶色。「黄い」「茶い」とは言わないが、「黄色い」「茶色い」は使うじゃないか。この使い方はこの2色だけなのだ。なぜだろう。
 ネットでちらっと調べた結果、前出の通り、4色の中央に黄色があるので、黄は黒、青、赤、白の次に古くから意識されて使われてきた色の名前なので、日本語が発展する過程の中で、こういう使われ方がされるようになった、というのが一番しっくり来る説明だった。先の4色は意味として具体的な色と対応しているようなしていないような曖昧さがあるが、黄色と茶色は色そのものを示しているという違いもある。ちなみに、信号機の緑を「あお」と呼ぶように、昔は緑は青に含まれていたわけだ。
 じゃあ、目に見えた実際の色を表すときは、黒、白、赤、青でどうかというと、これはどうにもならない。やはり黄色が必要だ。印刷でいうとインクの色、CMYK(シアン:青というより濃い水色、マゼンタ:赤というより濃いピンク、イエロー:どちらかというレモンイエロー、ブラック)に紙の色の白だ。この5色なら何とかなる。
 つまり、日本で古来から色として意識されてきたこの5色だけで絵が描けるわけだ。これは挑戦してみる価値があるのでは、と思ったけど、もうやっている人が身近にいた。

 でも、ちょっとおもしろいアイデアなので、今描いている絵に使ってみようかな。
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# by hiroafukasawa | 2016-02-15 15:40 | 雑記帳 | Comments(0)
年明けから飛ばしてるなあ
 あっという間の年末年始休暇が過ぎ、1月4日からフル稼働で、途中で雪かきなんかも入って、まだ新しい年が始まって1ヶ月も経っていないのに、もう疲れてしまった。そんな、今日の土曜日も休日出勤。
 今夜は、教室の日だったのだが、雪の影響が心配されるので、中止になった。おかげで、仕事の方はキリのつくところまで一気に片付いた。
 明日は一日休めそうだけど、油絵の「書き初め」には、なかなか手が着かない感じだ。
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# by hiroafukasawa | 2016-01-23 18:37 | 雑記帳 | Comments(0)
2015  年末
 年末進行で休日出勤して、今日の分は一応終わったので、軽く更新です。
 相変わらずの毎日、相変わらずの年末です。
 さて、年内に書き込みができるかどうか。
 というわけで、皆さん、良いお年を。
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# by hiroafukasawa | 2015-12-20 18:41 | 雑記帳 | Comments(0)
「助けに来ました」と作為
 未発表で、たぶん今後も実物を展示することはないと思われる作品。
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「助けに来ました」 F6 油彩 2012年

 抽象的な星空の絵を描いていたのを、うまくいかなくて潰した。しばらくほっといたら、そこに顔が浮かび上がった。いや、本当に浮かび上がってきたらオカルトだけど、要は、私がその画面に顔のようなものを見つけた、ということ。ちょうど、テレビで映画「エクソシスト」みたいなのを見た後だったので、「あ、黒い服を着た神父だ。困っている人を助けに来た神父さんだ」というイメージが固着した。
 私はキリスト教徒でも何でもない。なんか廃墟みたいな不気味な建物とか藪とかを撮った写真の中に目と鼻と口に見えるところを探して、「霊が写り込んだ」とかいうのと同じようなものだ。

 どんどんオカルトっぽくなってくるが、そういう話ではない。

 で、人物に見えるように手の平を加え、肩を出し、髪を足した。だけど、顔に筆を加えるところでためらった。でたらめに塗りたくった画面の中に人の顔を見つけた、その面白さを筆を加えることで台無しにしてしまわないか、と。手を加えることによって、どんどん作為的で面白さが削がれる絵になっていく、そんな未来が見えてくる気がした。
 結局、あごと耳だけ描いたかな。そこでサインを入れて一応の完成にした。だけど、こんな絵では、私のほかの絵と合わない。展示の機会を失い、今後も飾る予定はない。
 別のキャンバスを使って、この作品を写して書き進める手もある。オリジナルは残るので安心できる。だけど、それもなんか違う気がする。偶然の産物に面白さを感じたのに、作為的に写したら、本末転倒じゃないか。
 そもそも、(誰かに見せるために)絵を描くという行為は「作為」から逃れることはできない。でたらめの下塗りの中に顔を見つけたのも、私の中に顔のイメージがあって、それが作為的に働いたと言えなくもない。
 逆に言うと、作為的じゃないものにすべて頼ると、自分の絵にはならない。だから、展示できる絵にならない。
 「作為的なもの」と「作為的じゃないもの」との折り合いが付かないと作品になっていかないということだろう。この絵は、折り合いが付かなかった、ということだ。
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# by hiroafukasawa | 2015-11-23 12:05 | 制作 | Comments(0)
試行錯誤のくり返し
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 描きかけの絵を放って置いて、しばらくしてから眺めてみて、手を加えると突然良くなったり、「ああ、なんかこれ以上描き込んでもダメかな」と思えたり、いろいろだ。
 で、上の画像の絵だけど、もうダメかな、と思った絵の上に、いきなり別の人物を描いてみた。これが「あれ!?」と思えるほどいい感じになった(もちろんこれで完成ではないけど)。

 昔は、ちゃんとまじめにエスキースを作って構図を練って、キャンバスに下書きをして、完成に向かって塗り重ねていった。それがだんだん、その途中の塗り重ねていった段階で面白い表現、面白い効果に気付くようになって、結局、最初に頭に描いていた絵と違う絵が完成することが多くなった。
 それがさらに進んで、まったく途中の段階で、「あれ、この絵、ここで終わってもいいんじゃない?」と思えることが多くなってきた。
 まあ、それがいいんだか悪いんだか分からないが、試行錯誤を繰り返すことで、(自分で描いているのに)思わぬ絵に出合えることがある。油絵の面白いところの一つだな、と思う。
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# by hiroafukasawa | 2015-11-18 18:52 | 制作 | Comments(0)
あそび
 来年の春の出品に向けて、130号のキャンバスを張った。脚立を使ってキャンバスを回しながら「こんなでかい絵、いつまで描くんだろう(描けるんだろう)」とか思いながら張ったのだが、先日、齋藤静輝先生の傘寿記念の個展(ギャラリーイノセント)に伺った際、ご本人から「俺だってまだ130号くらい自分で張ってるぞ」といわれた。傘寿といえば80歳。たいした体力だと思ったが、よくよく聞くとキャンバスを仰向けにして、横から釘を打っているそうだ。「脚立なんか使って、落ちたら死んじまう」ということだが、130号を横にして回す、そんな広いスペースが、ウチのアトリエにはない。庭に出したってどうだろうか、車をどっか他所に駐めてこなけりゃならない。

 キャンバスを張って、次は地塗りだが、最近は真っ黒に塗りつぶすのがマイブームだ。で、塗りつぶす前に、ちょっと遊びで描いたのがこの顔。下書きなしで、線描はほとんど一筆描き。最初は目だけ描いた。
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唇がちょっとゆがんでるのがご愛敬。

 写真だけ撮って、この後、全部黒く塗りつぶしてしまった。
 遊びだけど、こういうのも面白いね。
 実は、書道のような筆の線というのが最近お気に入りで、今年の山梨県民文化祭には、そんな人物画を出す予定。
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# by hiroafukasawa | 2015-10-07 11:38 | 雑記帳 | Comments(0)
なんかちがう
 先日、ある方の作品展を見て来ました。大作が並び、形も色も独特な解釈があり、画面が平面化され、バルールも合ってるし、とてもいい「仕事」をされていると思いました。ただ、何かが違うのです。画面から感じられる何かが。
 会場を出て、車を運転しながら考えたのですが、たぶん、バルールが奥に行っちゃってるんじゃないか、と。つまり、額があって絵の表面があって、絵の中の空間がある、その空間が少し多い気がするのです。
額と同じ面に絵画空間を揃えると強い絵になるのに、バルールが少し弱く合わせてあるので、奥に見えるのです。
 言葉で説明するのが非常に難しいのですが、例えていうと、額の中に足を入れると、画面との間に人が一人分ぐらい立っていられるほどの空間がある、というような。
 余計わかんないか…。
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# by hiroafukasawa | 2015-10-06 15:24 | 雑記帳 | Comments(0)
130号
 台風の影響で、今朝からすごい雨だったが、今は晴れている。もう、日本海に抜けていってしまったのだろうか。

 9月4日に、やっと夏休みを取ってくつろいで、5日に130号のキャンバスを張った。ちょっと湿気がある日に張った方が、あとあと布がピンと張れて気持ちよく描ける。
 ただ、今回はちょっと失敗があった。
 ロールの布を切って、木枠に貼り付けるのだが、木枠に押っつけて切ったはずなのに、随分と斜めに切れていて、縦方向の半分近くが引っ張るに引っ張れないほど短いのだ。泣く泣くこれは諦めて、改めて130号分の布を切って張り直したわけだ。
 短く切ってしまった布も、より小さいサイズの木枠に張ればほぼ無駄なく使えるのだが、やはりもったいないことをしてしまったと、とても悔やんでいる私がいるのであった。

 ああ、それと、東京五輪のエンブレム、結局白紙になってしまいましたね。まあ、つまらない工作みたいなことをするよりも、はじめから公明正大に選べばよかったんじゃないかと。随分と無駄な金を使ってしまって、もったいないことをしてしまったと悔やんでいる皆さんがいることでしょう。
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# by hiroafukasawa | 2015-09-09 15:44 | 雑記帳 | Comments(0)