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2つのトラウマ
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 大学時代、夏期講習で裸婦があって、学生は油絵を描いた。大学の先生が日展系の会の会員で、同じ会員で人物を専門にしている画家を講師に招いてくれた。私はその時何年生だったかな。教室の中では力がある方だと思っていた。ところが、学生が全員集まっての合評会で、そのゲストの先生が私の絵を見て「この人は、ちゃんと(デッサンを)描かせたら、描けない人かもね」という批評をいただいた。ちょっとショックだった。いろんな先生からいろんな批評をもらったが、この一言は忘れられない。
 いや、実際、芸大とか美大を目指した学生に比べたら、デッサン力がないことは自覚していたが、そこをはっきり言われてしまって傷ついた。

 就職して、世は空前のスキーブーム。スキーは用具やリフト代やいろいろお金がかかるので、あまり熱心にゲレンデに通ったりしなかったが、パラレルで滑れるくらいになっていた。ところがある年、ツアーで行った全員の滑りをビデオに撮り、宿舎で見るということになった。それまで「うまいねえ」「上手」と賞賛の言葉が続いたが、私の映像が流れると「う〜ん、なんか違う」「独特な滑りだね」と笑いが起こった。
 何がショックだったかというと、私は他の人と同等レベルで滑れていると思い込んでいたことだ。だけど違った。スキーは私の本分ではないので、それを機にやめてしまったが…。

 この2つのトラウマ(トラウマというほどのものでもないけど)から、「自分のデッサンはそこそこうまい」「自分の絵は面白い」と思っているのは実は自分だけかも知れないという不信が自分にある。
 なので、東京の公募展にギリギリでも入選すると安心する。とりあえず「間違ってはいないんだな」と。
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by hiroafukasawa | 2013-08-30 18:51 | 雑記帳 | Comments(0)
水族館
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iPhoneで撮影。

 夏休み、子どもをどこへも連れて行けなかったので、最後の最後にイルカのショーで有名な水族館に行って来た。子どもはそれなりに楽しんだようだが、帰りは渋滞。運転に疲れた。
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by hiroafukasawa | 2013-08-29 17:51 | 雑記帳 | Comments(0)
手作りの額 完成
 手作りの額が仕上がったので、絵を入れてみた。
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 以前から個展会場で数人の方から「もっとシンプルな額の方が合うと思う」と言われていたのだが、最近は「角箱」という名前のシンプルな額が人気のようで(私の周りだけかも知れないけど)、私も次の個展に向けて「角箱」を20枚ほど揃えることにした。
 普通、額縁といえば、枠の中に絵を入れる格好だが、「角箱」は絵を枠の真ん中において裏から留めるタイプ。絵の端が隠れることはない、というか、側面まで見えてしまう。標本箱みたいなイメージだ。
 このスタイルなら、作るのも簡単なわけだ。角材で枠を作ってベニアを裏から打ち付ければいいだけ(もちろん、本物の「角箱」はガラスが入っているので作りはもう少し複雑だ)。
 ただ、絵を入れるのが面倒だ。まず、絵の側面、布を釘で打ち付けてある部分が見えるので、目立たないように黒く塗っておく。額の中央に合わせ、裏からネジで留める。これが大変。きちんと真ん中に合わせても、裏からネジで留めるときにずれたりして、さらには絵を押さえておかなければならないので、絵の具が乾いていないと作業ができない。
 なんにしても一長一短はあるということだな。
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by hiroafukasawa | 2013-08-22 10:41 | 雑記帳 | Comments(0)
手作りの額
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 前回の個展で「もう少し大きな作品も観たい」という声があった。スクエア展や東京に持って行く大作は130号で、個展といえばF0、SMからF6くらいまでだった。なので「もう少し大きな」というのはこの場合10号から30号くらいかなということで、昔の作品を布だけはがして新たにキャンバスを張り、何点か用意した。
 その後、思いがけずF20やP30の木枠が数本手に入り、これはいよいよ「もう少し大きな作品」を作れという天の声だ、というわけで頑張って描いている。が、展示するための額がない。額をつけずにキャンバスの側面にテープだけ貼って展示する人もいるけれど、私としては、やはり額は必須だと思う。だけど、額を買うと、大きな額は当然それなりに高い。じゃあ、いいや、作っちゃえ。ベニアと角材とペンキを買って来て自作。息子も手伝ってくれたし(写真)。大変シンプルな仮額だけど、結構気に入っている。
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by hiroafukasawa | 2013-08-20 11:01 | 雑記帳 | Comments(0)
先生と呼ばれて
 私がまだ20代の頃、私がリーダーでグループ展をやっていた。そこに、おばさんの取り巻き3、4人を連れた「先生」と呼ばれる女流画家のAさんが現れた。会場の絵を〝上から目線〟で批評した後、我々に「あなたがたはタブローってご存知?」とか言ってきて不愉快な思いをさせられた。

 この所このブログで「バルール」や「平面化」の話を書き込んだが、なんでこんなことを描いたかと自問すると、どうも私の中で「誰かに絵の指導したい」という欲求が強くなってきているようだ。それはつまり「先生はすごい」と言われたい、というところに繋がる。
 基本、美術作家なんて「被承認欲」のかたまりみたいなもので、作品と画業で世に認められるのが本来なのだが、それがままならないと、子育てを終えてから絵を描き始めたようなおばさんたちの集まりの中でちやほやされて悦に入ってしまうという落とし穴がある気がする。さらに自分で「先生である私はすごい」と勘違いすると、上記のAさんのように若い作家の展覧会場で高飛車な態度をとっても平気に
なってしまう。恐ろしいことだ。

 オーソドックスな風景画などを集めたグループ展や、絵画愛好家の作品発表会などに行くと、たまに絵画上級者然としたおじさんが、絵画初心者と思しきおばさんたちを集めて展示作品の解説や批評をしているのに出くわす。たぶん、そのおばさんたちに請われて解説しているものだと思うのだが、ほかの観覧者がいる前で、正直「よくやるなあ」と感心してしまう(その人より上の、大御所のような先生がその場に現れたらどうするんだろう)。例えば作品発表会みたいな会場で、絵の作者に頼まれてその方の絵だけについてアドバイスするならまだわかる(作者といろいろやりとりしているうちに、自然にギャラリーが集まることもある)。あるいは、自分たちのグループのメンバーの作品を、鑑賞の一助として解説するならわかる。しかし、その会の講師でもないのに会場の絵を手当たり次第に批評していくのは、「絵の先生と呼ばれる自分」を楽しんでいるようにしか見えない(実際に、なんか生き生きとした表情をしておられる)。
 いや、その「先生」がその会場で人を集めて絵の批評をする何か正当な理由とか、会の慣例とか、それなりのいきさつとか、ハタで見た限りではわからない事情があるのかも知れない。でもまあそれはそれとして、私は気をつけよう、と思った。
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by hiroafukasawa | 2013-08-10 13:20 | 雑記帳 | Comments(0)
エアコン効果
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 うちの家族はエアコンが嫌いで、よっぽど暑くないと冷房を入れない。私は内勤なので、一日中エアコンのきいた事務所で仕事をしていて、家に帰ると暑くてしょうがない。幸い、アトリエにもエアコンがあるので、夕飯の後に我慢できなくなるとアトリエに避暑に行く。そして、描きかけの絵を見ると描かずにはいられなくなる。なので、仕事が妙にはかどる。次の個展は2月だが、このペースで行くとかなりの数の絵が仕上がる。
 と、思ったが、夏が過ぎ秋が来るとこの特殊効果も無効になることに気付いた。
 今日は画材店で、額を20枚も注文したし、せいぜい頑張って絵を描いておけということだな。
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by hiroafukasawa | 2013-08-09 18:17 | 雑記帳 | Comments(0)
バルールと平面化のまとめ
 バルール(色価)を合わせるのが絵画の基本。バルールが合ってないと、遠近がおかしな感じになる。バルールが狂っていると、色面が妙に凹んだり飛び出てきたりする。
 平面化は、遠近法から卒業して、見えた通りの奥行きではなく、バルールを駆使して画面の中にその絵だけの空間を作り出すということ。

 こういうことかな。この記事だけ読んだら、なんのこっちゃかわからんと思うけど。カテゴリに「バルール」があるので、暇な人は読んでみてください。
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by hiroafukasawa | 2013-08-07 16:53 | バルール | Comments(0)
平面化 蛇足
 どう描くかより何を描くかが重要になるんだが、何を描くかがなかなか見えてこないんだな。現在進行中の気になる出来事を絵にするのも面白いし、マンガのような絵や、あるいは心の中を探って絵を描くようなことも面白い。「これにしよう、これが絶対だ」と決められない。
 麻雀でも決め打ちが出来なくて、手をこまねいているうちに他の人にあがられてしまう、ということが多いもんな。
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by hiroafukasawa | 2013-08-06 11:06 | バルール | Comments(0)
平面化 3
 平面化の何がいいかってことをいろいろ上げてみるよりも、私がなぜ平面化された絵を描いているかを上げた方が分かりやすくて誤解がないかも。私基準だから。
 高校生のときに油絵を始めて、当時は写生画を描いていた。大学に入り、先生に指導されたり、近代絵画や当時活躍していた画家の絵を見るにつれ、見えた通りに描くことが退屈になってきた。「絵に現実世界を切り取る」という仕事は私には向いてなかった。「画面の中に世界を作る」ことの方がおもしろかった。先生にブラックの画集を借りたりしたなあ。視点の移動やデフォルメ、脱固有色、抽象化などなど。そして、平面化と「バルールを合わせる」ことを覚えていった。ずいぶん時間がかかったけど。
 なんて書くと、私の絵がまるで完成されたもののように聞こえるけれど、実は平面化も中間地点のひとつに過ぎなかった。描きたいものを描きたいように描くといっても、人に見せるものなので、独りよがりではいけない。静物や女性像を描いても、「それがなんだ?」ということに気付く。どう描くかではなく、何を描くかが重要になってくる。

 そんなことで、この話はとりあえずお仕舞いかな。
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by hiroafukasawa | 2013-08-05 18:41 | バルール | Comments(0)
平面化 2
 なんで私みたいな無名の美術作家が、偉そうにバルールやら平面化やらとこれ見よがしに解説しているのか、という思いを抱きつつ、まあ、どうせそんなたくさんの人が見ているわけじゃないからいいや、とも思いつつ、要は自分がやっていることを改めて文章にして、自分でおさらいをしているわけなので、構わず続けることにする。もしかしたら、近い将来、こういうことを誰かに伝えなきゃいけないシーンもないとは言い切れないし。

 誤解を恐れずに言うと、遠近法で描くことよりも、平面化した方が、なんか高度なことをやっているような感じがする。子どもの絵が、描きたいものを素直に描いていてとても自由な感じがするけれど、中学生くらいになって遠近法を覚えると、見えたものを忠実に捉えようとするあまり、絵が硬くなっておもしろくなくなる。遠近法に縛られて見えたものを見えた通りに描こうというのは中学生レベルの延長線上だ、と言うと言い過ぎかも知れないけど。子どもの絵から中学生を卒業して、大人になって子どもの絵にもどる、それと同じことが美術史の上で起きているのだから「歴史が証明している」というわけだ。
 セザンヌ先生やピカソ先生やブラック先生が、静物を上から見たり下から見たりして、それを一つの画面に合成しちゃって、遠近法が吹っ飛んじゃったけど、静物だけじゃなくて人物も風景も同じことをやるわけで、そうなると、「現場で実物を見て描くこと」にあまり意味がなくなるよね。子どもは絵の対象をじっくり観察したりしないものね。だけど、「大人の絵描き」は子どもの絵と同じじゃまずいよね。「調和がとれた画面構成」「印象的・効果的な色や形」「バルールが合っていること」などが大切になってくる。自由(でたらめ)に描いているようで、実はちゃんと「大人な計算」が施されている。それがより高度な絵画の創作という風に思えるのだ。

 だけど世の中には、遠近法に則った写生や写実画でありながら、平面化がされている絵を描く人もいるんだよね。これはもう、「バルールの妙」としか言いようがない。

 ということは、やっぱり「平面化はバルールを合わせること」に尽きるってことなのかな。
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by hiroafukasawa | 2013-08-02 16:01 | バルール | Comments(0)