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チャリティー
 結論から言うと、私の中では納得できない。何か違う気がする。

 大きな災害が起こると、なぜか人は高揚感に支配され、「被災者のために何かしたい」とよく考えもせずに行動してしまうことがあるそうだ。まあ、それはそれとして、被災者のために何かしたいという気持ちはとても大事なことで、何かできる人は(被災者やボランティアの迷惑にならない限りは)した方がいい。それは間違いない。
 絵を描く人たちが、「絵を売ったお金を寄付しよう」と考えるのは実にストレートで、これも間違いじゃないと思う。3月末ぐらいから予定されていたグループ展に急遽「チャリティー展」と冠をつけて、「絵の売り上げの一部を寄付します」とか、路上でペイントライブをやってお金を集めるとか、いいと思います。

 そこで、じゃあ私はそんなことをやるのか?と自問してみるに、たぶんやらないだろう。そういう展覧会に出品して欲しいと言われれば、喜んで絵を提供するが、自分から進んでチャリティー展を開こうとは思わない。
 「チャリティー」の冠をつけることで人が余計に集まる、さらに絵が余計に売れる、みたいな打算が感じられるのもある。普通に展覧会をやって、売れた分から自分が出せるだけを普通に寄付したらいい、もっと言えば、展覧会を開くのとは関係なく、普通に寄付すればいい、と思う。寄付が目的なのか、チャリティーと冠をつけるのが目的なのか。

 でも、この時期にチャリティー展とかやっちゃう人というのは、頭が柔らかくて行動力がある、たぶん若者たちだろうと思う。若いエネルギーなんだな。つまり、私はもう年寄りなんだな。ペイントライブなんてできないもんな。ある意味、うらやましい。

 某画伯が「絵はテーマやスタイルだけではありません。エネルギーです」と言っていたが、絵そのものが人々にエネルギーを与えるような、そんな絵を描きたい。

 被災者の皆さん、ガンバレ。チャリティー展を開く人もガンバレ。東京電力福島原発で決死の作業を続けている名もない下請け業者と自衛隊の皆さん、ガンバレ。
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by hiroafukasawa | 2011-03-29 21:12 | 雑記帳 | Comments(0)
無計画停電の影響
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EOS5Dで撮影。杏の花と停電中の信号。

 「やるつもりだったけど、やっぱやんない」みたいな無計画停電に振り回されている。停電になることを前提で仕事を前倒しでやっている。忙しいんだけど、どうにも集中できない。
 チャリティー展について自分の思いを書こうと思っていたんだが、まあ、また今度にする。
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by hiroafukasawa | 2011-03-28 19:29 | 雑記帳 | Comments(0)
震災の前後に
 東電の無計画停電の影響で、いろいろな仕事のスケジュールを調整しなければならず、毎日時間に追われるようで妙に忙しい。この大震災の前後に行った展覧会のことも書けないでいた。

 まさに地震が起きる日の午前中、後輩たち(20歳以上も年は違うけど)の卒業・修了制作展を見てきた。今の私と比較するわけにはいかないので、私が卒業の時の卒展を思い浮かべながら鑑賞。あの頃に比べると現代美術に傾倒しているようだけど、「何でもかんでも飾ればいいってもんじゃない」って印象。「現代美術入門」とかデッサンとか、あの程度のものを・・・と思ってしまう。
 榎並さんが言っていた「なんでもあるけど、なんにもない」というのが、まさにピッタリ。まあ、だからといって私らの頃の卒展に「なにか」があったかどうか、それは分からないけど。

 その梨大美術教室の関係で、これは見に行っておかなければならないという展覧会がギャラリーシュオンの「早春三人展」だった。地震の一週間後くらいに訪ねた。狭い壁面にギュウギュウに日本画と版画が飾ってあった。ギャラリーのオーナーは相変わらず元気一杯で、「来年の秋は、またあなたたちのグループ展をやってもらうわよ」と言われた。
 全く違う世界で全く違う時間を過ごしたような感覚だった。
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by hiroafukasawa | 2011-03-24 15:10 | レビュー | Comments(2)
春は確実に
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iPhoneで撮影。

 春は確実に近づいている。

 私は今日も休日出勤している。
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by hiroafukasawa | 2011-03-21 15:41 | 雑記帳 | Comments(0)
いやし
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iPhoneで撮影。

 自分が生きている、今の時代の中の、気になる事象を絵のテーマにしてきた。
 東北大地震が来る4日前、、以前いっしょにテニスをしていた仲間たち(出席したのは私以外女性)の飲み会があって、その席でおばさまたちに「あなたの絵は暗くてダメよ」と言われた。「もっといやし系の絵を描いて欲しい」とのこと。「描こう思えば描けないこともないけれど、今のテーマの方が自分が描いていて面白い」と答えた。
 しかし、この震災で少し気が変わった。今描いている絵が仕上がったら、新しいテーマにするかも知れない。まだ固まってないけど。
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by hiroafukasawa | 2011-03-16 18:28 | 制作 | Comments(2)
未曾有の大地震
 東北地方、そして全国の被災者にお見舞い申し上げます。
 宮城県旧古川市に嫁いだ、かつての部下の無事が気になります。
 家族も建物も問題ありませんでした。私たちに今、できることは「節電」だけです。
 テレビは、悲惨な映像を繰り返し流すだけなので、ほとんど見ていません。
 5歳の息子(あさって誕生日)は、異常に停電を怖がっています。

 一人でも多くの命が救われますように。
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by hiroafukasawa | 2011-03-14 18:56 | 雑記帳 | Comments(0)
結局ボツになったデザイン
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iPhoneで撮影。

 結構作り込んできれいなパイロット版をつくったつもりだったんだが、クライアントの予算の関係で、ボツになってしまった。カラーから白黒に、大きさも打ち合わせの度に小さくなっていき、がっかり。そんなこともあるさ、という仕事。
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by hiroafukasawa | 2011-03-08 19:23 | 最近の仕事 | Comments(0)
凡人の覚悟
 1日の書き込みで、大作を描く覚悟がどうのこうのと言ったが、「画家として生きる」覚悟とはまた別の話で、愛する家族の将来も顧みず、きついけれど楽しデザインの仕事をなげうってまで画家になろうという覚悟は、今のところないのだ。
 思えば今までいろいろな人生の選択があったが、そういう中途半端な生き方しかできない人間なんだとつくづく思う。凡人ですわ。まあ、中途半端は中途半端なりに、一生がんばって描き続けようとするわけで、それも一つの覚悟ということで。
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by hiroafukasawa | 2011-03-03 19:48 | 制作 | Comments(2)
なぜ公募展に
 昨日、書き忘れていた。そもそも、なぜ公募展に出さなければいけないか。
 まあ、「いけない」ってこともないんだけど。

 本当に描くことだけが好きで、発表は考えてないというのなら別だが、展示することを前提で描いている私にとっては、表現が独りよがりになっていないかどうかが気になるところだ。
 詳細に間違いなく伝えなければならないデザインの仕事とは違って、絵画の表現はもっと自由で、見る側によって感じるものが多少違ってもかまわない。しかし、自分だけは納得しているが、他人には「なんだかチンプンカンプンで空回り」というのは避けたい。
 個展の会場で、来場者に批評してもらうのもいいが、ここは一つ腕試し、ということで、東京の公募展に出品するわけだ。つまり、入選すれば、自分の表現の良さが審査員の先生方に伝わったということ。落選すれば、どこか独りよがりの部分があるということだ。もちろん、技術的なことなどもあるけれど。

 また、公募展の季節がやってくるなあ。
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by hiroafukasawa | 2011-03-02 15:18 | 制作 | Comments(0)
なぜ大きな絵を
 一生絵を描き続ける覚悟でアトリエ付きの家を建てた。80号とか100号とかの大作を描いていたが、それがS100号(100号の長い方の正方形)になり、F130号になって、このアトリエでは横にして描けないというところまで来てしまった。
 なぜ、こんな大きな絵を描くのだろう。私にとっては、100号でも十分なんだが、80号になると、中途半場に大きくて変な感覚になってしまう。一度130号を描いて、その迫力にも慣れてしまったせいだろう。
 まあ、要するに公募展(国展)の大きさの上限がF130号だから、この大きさで描いているわけだ。小さな絵は、なんとなくうまい具合に仕上がってしまうことがあるが、大作はそうはいかない。実力が現れると思う。公募展で大作が求められるのは、それだけ大きな絵を描くという覚悟(実力とは別に、それなりの広い場所と時間と画材を用意しなければならない)もはかられているのかも知れない。
 あとは、単純に、大きな絵を描くのが面白い。キャンバスに戦いを挑む感じ。根性を試されている感じ。仕上がった時の達成感。
 絵は表現だから、大きな画面であるからこそできうる表現というものもある。「大きな絵に表現をしたい」と欲求があれば、それが大きな絵を描く答えになる。「自分の表現に大画面は必要ない」という人は描く必要はない。それはその人なりの絵に対するスタンスなので、人がとやかく言うべきことでもない。

 公募の上限だからやむにやまれず描いている、というわけではなく、結局、「嫌いじゃない」からなんだな。

 ただ、公募のためだけに絵を描くというのもおかしな話で、130号しか描かないというのも片手落ちじゃないかな。私は、30号とか50号も描く。公募展とは関係なく120号を描いたこともある。最近は、久しぶりに小品を描いている。
 いまは、小品を描きながら、手探りで何かを探しつつ、それを大作に反映できないかともがいているところだ。
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by hiroafukasawa | 2011-03-01 21:41 | 制作 | Comments(0)