カテゴリ:若草荘物語( 7 )
何かが起きる・・・
 もう一つ思い出したので記しておこう。私の人格が疑われるかも知れないが、時効だろう。

 若草荘の北側には若干土地が余っていて、そこが夏になると草ぼーぼーになる。住宅地の真ん中で草むらがあるのはいかがなものか、と大家さんがシルバー人材センターだかなんだかに頼んで草取りをしてもらう。
 汗をぬぐいつつ草取りに精を出すシルバーさん達の手が止まる。「こりゃなんで? なんでこんなもんが落ちてるで?(これは何か?なぜこのようなものが落ちているのだろうか?)」と言ったかどうだか知らないが、小さな騒動になったらしい。たまたま(というかほぼ毎日)若草荘の自室にいたE先輩が、何事かと顔を出すと、シルバーさんの手に白いブリーフ。
 夜、大学から帰ってきた私にE先輩が問う。「ウラの草むらにブリーフが落ちていた。心当たりはないか?」「あ、それ、ぼくです」「・・・」「・・・」
 先輩の声が荒くなる。「なんで、ブリーフを捨てた? なんで下宿の裏に捨てた? 何を考えてるんだ」。さらに「社会人としてどうかしてる」とまで言われてしまった。よりによってE先輩に。

 いやしかし、いまだになぜそんなことをしたのか、わからないんだよな。ブリーフを草むらに捨てる必要なんてどこにもない。たとえゴムが伸びきっていても、たとえ黄ばみかなりやばくなってきたとしても、ゴミ箱に捨てればいいものを、なぜ裏庭に?
 たぶん、そういう理解不能な行動をすれば、何かが起きると思ったのかも知れない。昨日までとは違う、何か特別なことが起きるのではないかと。池に石を投げ入れると、波紋が徐々に広がっていく。その波紋がやがて自分自身を変えてくれる。そんな切なる思いで草むらに投げ入れたんじゃないかな。ブリーフを。
 結局、その波紋は、E先輩に怒られるという形で私のところに戻ってきたわけだ。

 まあ、草むらにブリーフを投げ入れたくらいじゃ、人間は変われないね。
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by hiroafukasawa | 2012-10-03 18:37 | 若草荘物語 | Comments(2)
女性へのプレゼント
 30年近く前、私が20歳そこそこの頃に住んでいた若草荘での出来事をふと思い出した。
 大学の先輩にK子さんという人がいる。私とは4〜5歳くらい年が離れているので、大学で一緒になったことはないのだが、若草荘で一緒に生活していたE先輩とS先輩が仲がよくて、K子さんの誕生日が近いので何かプレゼントを買おう、ということになったらしい。たぶん年長のE先輩がS先輩に「面白いから下着にしよう、S、買ってこい」(ここでいうSというのはS先輩のことで、サイズのことではない)ということになったのだろう。あるいは、二人で仲良く買いに行ったかも知れない。女性用の下着を。
 で、そのプレゼントをK子先輩に渡す。K子先輩、喜んで開く。中身を見る。微妙な表情。
 「あのね、プレゼントにこういう物を選ぶんだったら、もっと派手なものとか、着けるのに躊躇するぐらいのものにしないと、シャレにならないでしょ!! これじゃ笑うに笑えないでしょ!!」
 見れば、その下着、ベージュの、今すぐにでも使えそうな実用的なもの。なるほど。

 いやあ、女性へのプレゼントは難しいものだなあ、と若かりし頃の私は思ったのでした。
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by hiroafukasawa | 2012-10-02 12:48 | 若草荘物語 | Comments(2)
点数表
 調べものをしていたら、昔書いた文章(社内報の「たからもの」というコーナーに寄せたもの)がでてきたので、転載してみる。


 大学二年の秋から、同じ美術科の先輩がいるぼろアパートに下宿した。その「若草荘」には、私と入れ替わりに卒業した先輩が絵描きを目指して暮らしていたり、四年のころには同級生が隣の部屋に住んだりと、とにかく溜まり場になっていた。そこで連日連夜のように開かれていたのが「マージャン大会」だった。
 だれもが初めての経験でお互いにルールを説明しながら、チョンボを繰り返しながらの大騒ぎだった。賭けるのはジュースと"プライド"だけ。いかにきれいな"手"で上がるかに関心が集まっていた。
 延々と続いた戦いの記録はいつしか巻物となった。卒業の時にこの巻物をコピーして主なメンバーに配った。彼らも大切に保管してくれているものと思う。
 広げて見れば、いつでもあのころのことが蘇ってくる。役満の興奮、打ちながら眠っているヤツ、明け方になると強くなるヤツ。マージャンだけじゃない。六畳一間に十三人が集まって鍋をつついたことや、朝まで飲んで騒いだことなどが一緒に思い出される。友情があり恋があり、エゴの衝突があった。貧乏暮らしに涙したこともあった。それらの思い出が点数と点数の間に染みついている。匂いさえする。
 ちなみに私のトータルは+120だった。


 14年くらい前、うちの会社に中国から研修生が来ていたことがあった。英語はペラペラ、日本語もかなり流ちょう。かわいい顔をした女の子で、しかもエリートだ。私が「イー、アル、サン、スー」と中国語で数字を数えると、とても驚いて「どうして覚えた?」と聞いてきた。日本人は中国語に興味がないとでも思っていたのだろうか。
 「マージャンだよ」と教え、彼女が来る数ヶ月前に発行されたこの社内報を渡し、前述の記事を読ませてあげた。彼女はいい子だったので、お世辞だと思うがとても感心して「いい文章だ。漢詩にしてもいいかもしれない」といってくれた。それが何だかとてもうれしかった。彼女は今どうしているのだろう。きっと幸せなんだろうな。結婚して子どもが出来て、家族で北京五輪を楽しんだことだろう。それとも、キャリアウーマンになって、中国とはいわず世界を相手に仕事をしていて、五輪どころじゃなかったかも。でも、日本語を読んで漢詩に変換するって、すごいな。・・・ん? そうでもないのかな?
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by hiroafukasawa | 2008-08-29 20:02 | 若草荘物語 | Comments(0)
前回のつづき… 食事当番
 入院した私には、一つ気がかりなことがあった。

 若草荘に下宿した私は、先輩2人と共同自炊をしていた。貧乏な下宿生の知恵である。三日に一度、当番が回ってくるわけだ。食事は、私の部屋に集まって食べることになった。引っ越してきたばかりで、部屋に物が少ないからだ。真面目な私は、結構いろいろな料理を作った。私が、鳥そぼろの三色ご飯を作ると、翌日、A先輩がカレーを作り、その翌日、B先輩が前日の残ったカレーを温めた。私が中華丼を作ると、翌日A先輩がカレーを作り、その翌日はB先輩がカレーを温める。そんな毎日だった。
 カレーは、毎日火を通しても、夏場は腐るので注意が必要だ。カレーが腐るとウンコより臭い。気をつけよう。あと、B先輩は、カレーのとろみがなくなると、小麦粉を入れてそれをフォローした。最後の方は粉っぽいカレーになって、色も白っぽくてお子様カレーみたいだった。

 事故を起こし、足を骨折して入院したその日、私は食事当番だったのだ。真面目な私は、母親に入院したことと今日の食事当番が出来ないことを、B先輩に連絡してもらった(当時は携帯電話なんてなかった)。真面目な母親はB先輩にまず「息子は、今日食事当番が出来ません」と告げたそうだ。「ほう、そりゃまたどうして?」と問われて初めて「実は、交通事故で入院して…」「ええ〜っ」。
 のちにB先輩から「お前のお袋さんは、おかしい。まず事故ったことを言うだろ、普通!」と言われた。そりゃそうだけど、真面目だから食事当番が気になったんだよな。私も母親も。
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by hiroafukasawa | 2008-07-23 20:01 | 若草荘物語 | Comments(2)
RX-50
 スーパーカブも名車だが、原付自転車といえばヤマハRX-50だ。学生時代、自動車免許を取ったはいいが車を買えるはずもなく、原付で大学へ通っていた。そんな貧乏学生ばっかりだったので、バイクといえば50ccのことを指すようなあんばいだった。私が買ったRX-50はアメリカンタイプだったので、スピードを出すには向かないが、運転は楽だった。「ゼロハンツアー」と称して、教室の仲間と愛知県までツーリングに行ったときも、みんなが大騒ぎするほどには疲れなかった。

 夜中まで絵を描いて家に帰ると、神経質な親父が物音で目を覚まし「眠れやしねえ」と文句を言い、あげく「遅くなるなら帰ってくるな」と怒り出す。プチ勘当だ。そんな家庭だったので、大学2年の夏に「甲府に下宿する」と言いだした私に、「家から通える大学に入れたのに、なんでわざわざ下宿するのか」と反対されるかと思いきや、「そうしろ」と二つ返事でOKをもらってしまった。「その代わり、仕送りはしない」。ごもっともだ。
 そうして下宿したのが「若草荘」。山梨県は公共交通機関が発達していないので、その後もRX-50は私の足として活躍してくれた。しかし、その年の秋に、韮崎の同級生宅からの帰り道、もう少しで甲府だというあたりで自動車とぶつかってしまい、私は足の骨を折って、救急車で病院に運ばれそのまま入院してしまう。右折しようとする車の左をすり抜けようとして右足のすね(いわゆる弁慶の泣き所)だけぶつけた。アメリカンタイプなので、ほぼ垂直に立てたすねを真横からバンパーにぶつけ2本とも折ってしまった。ただ、バイクはかすりもしなかったので、そのままバランスをとってしばらく走ることが出来た。ところが、右足のつま先があり得ない方向を向いていて、「これはやっちまった」と、とりあえず倒れて停まったのだ。
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by hiroafukasawa | 2008-07-22 20:32 | 若草荘物語 | Comments(0)
スーパーカブも50歳
 今年、ホンダのスーパーカブが50周年を迎えたそうである。

 スーパーカブといえば、大学の先輩が乗っていた、長低燃費の原付バイクだ。その先輩は、雨の日も風の日も、時には雪の日だってスーパーカブに乗って職場に通っていた。その通勤も半端な距離じゃない。片道20キロはあったんじゃないだろうか。
 画家を志すその先輩は、貧乏だったけれど「カブでは絵が運べない」ということで、ついに自動車を買った。屋根がついている自動車で乗っている人は濡れないのだ。荷台も広い。その名も「スバル サンバー」。ところがこれがオンボロで、たしか、車の値段より車検代の方が高いとかいう代物だ。軽快なラテンのリズムを思わせるのはその焼き玉エンジンのようなエンジン音だけで、いつ動かなくなるかわからないような車だった。記憶が定かではないが、もしかしたら排気量も360CCだったかも知れない。末期にはマフラーから排気ガスと一緒に水を出していた。「物が燃えると二酸化炭素と水が生成される」とかいう生やさしい物ではなく、ラジエターの水をそのままケツから出しているわけで、荷台に水を入れたペットボトルを常備し、つぎ足しつぎ足しして走るのだ。
 今では信じられないような話だ・・・。
 
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by hiroafukasawa | 2008-07-19 18:34 | 若草荘物語 | Comments(2)
若草荘物語 1
20数年前のちょっとした物語を書いたのですが、とりあえず削除しました。
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by hiroafukasawa | 2008-07-09 19:28 | 若草荘物語 | Comments(4)