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画き足す?・・・やめる?
 小品をまとめて描いているが、初めは何も考えず、絵の具を重ねて下地を作っている。ある程度絵の具が盛れたところで、絵を作っていくのだが、その途中で筆を入れられなく絵がたまにある。「これは、もうこのままでいいんじゃないか」と思ってしまうわけだ。別の言い方をすると「これに手を加えたら、返って悪くなるんじゃないか」という感覚だ。
 絵を仕上げる時もそうだ。絵には「ここで完成」という区切りがないから、いつまでも描き足し続けられる。絵を完成させるきっかけは、「もう発表まで時間がないから」というのが多いけれど、「ここまで描けば十分だろう」という場合もある。そして、「工程的にはまだ描きかけだけど、これ以上描き足しても、今のこの面白さが損なわれるだけかも」と感じる場合もある。最近はそう感じたら、多少不完全燃焼でもそこでサインを入れる勇気がついた。
 そんな、迷う絵をいくつか。
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 さあ、どうしようか。描き足す? やめる?




 

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by hiroafukasawa | 2017-12-01 18:35 | 制作 | Comments(0)
速筆女性
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 最近、また小品を描き始めた。意図もなく下塗りをしたキャンバスに、ササッと書道のように人物を描いてみた。右腕がおかしいし、髪の毛もないし、青のバルールが合ってないし、これを現状のまま作品として出品することはしないけど、こんな感じもありかなと思う。なので、ここからどう手を入れようか迷ったりする。

 先日、新聞歌壇の選者をしている歌人が、「自分にしか詠めない歌を如何にして作るかが重要だ」というようなことをおっしゃっていた。五七五七七の31字で表現するわけだから、大変なことだと思う。
 絵も同じだよね。その作家にしか描けない絵を描けるようになれたら、それは一つの到達点だと思う。だけど、絵の神様が「あなたの絵、そこが到達点だよ」と教えてくれる訳じゃない。
 まあ、死ぬまで試行錯誤の繰り返しなんだろうな。

 

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by hiroafukasawa | 2017-02-01 15:27 | 制作 | Comments(0)
「助けに来ました」と作為
 未発表で、たぶん今後も実物を展示することはないと思われる作品。
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「助けに来ました」 F6 油彩 2012年

 抽象的な星空の絵を描いていたのを、うまくいかなくて潰した。しばらくほっといたら、そこに顔が浮かび上がった。いや、本当に浮かび上がってきたらオカルトだけど、要は、私がその画面に顔のようなものを見つけた、ということ。ちょうど、テレビで映画「エクソシスト」みたいなのを見た後だったので、「あ、黒い服を着た神父だ。困っている人を助けに来た神父さんだ」というイメージが固着した。
 私はキリスト教徒でも何でもない。なんか廃墟みたいな不気味な建物とか藪とかを撮った写真の中に目と鼻と口に見えるところを探して、「霊が写り込んだ」とかいうのと同じようなものだ。

 どんどんオカルトっぽくなってくるが、そういう話ではない。

 で、人物に見えるように手の平を加え、肩を出し、髪を足した。だけど、顔に筆を加えるところでためらった。でたらめに塗りたくった画面の中に人の顔を見つけた、その面白さを筆を加えることで台無しにしてしまわないか、と。手を加えることによって、どんどん作為的で面白さが削がれる絵になっていく、そんな未来が見えてくる気がした。
 結局、あごと耳だけ描いたかな。そこでサインを入れて一応の完成にした。だけど、こんな絵では、私のほかの絵と合わない。展示の機会を失い、今後も飾る予定はない。
 別のキャンバスを使って、この作品を写して書き進める手もある。オリジナルは残るので安心できる。だけど、それもなんか違う気がする。偶然の産物に面白さを感じたのに、作為的に写したら、本末転倒じゃないか。
 そもそも、(誰かに見せるために)絵を描くという行為は「作為」から逃れることはできない。でたらめの下塗りの中に顔を見つけたのも、私の中に顔のイメージがあって、それが作為的に働いたと言えなくもない。
 逆に言うと、作為的じゃないものにすべて頼ると、自分の絵にはならない。だから、展示できる絵にならない。
 「作為的なもの」と「作為的じゃないもの」との折り合いが付かないと作品になっていかないということだろう。この絵は、折り合いが付かなかった、ということだ。
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by hiroafukasawa | 2015-11-23 12:05 | 制作 | Comments(0)
試行錯誤のくり返し
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 描きかけの絵を放って置いて、しばらくしてから眺めてみて、手を加えると突然良くなったり、「ああ、なんかこれ以上描き込んでもダメかな」と思えたり、いろいろだ。
 で、上の画像の絵だけど、もうダメかな、と思った絵の上に、いきなり別の人物を描いてみた。これが「あれ!?」と思えるほどいい感じになった(もちろんこれで完成ではないけど)。

 昔は、ちゃんとまじめにエスキースを作って構図を練って、キャンバスに下書きをして、完成に向かって塗り重ねていった。それがだんだん、その途中の塗り重ねていった段階で面白い表現、面白い効果に気付くようになって、結局、最初に頭に描いていた絵と違う絵が完成することが多くなった。
 それがさらに進んで、まったく途中の段階で、「あれ、この絵、ここで終わってもいいんじゃない?」と思えることが多くなってきた。
 まあ、それがいいんだか悪いんだか分からないが、試行錯誤を繰り返すことで、(自分で描いているのに)思わぬ絵に出合えることがある。油絵の面白いところの一つだな、と思う。
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by hiroafukasawa | 2015-11-18 18:52 | 制作 | Comments(0)
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描きかけ、というか、描き殴った感じ。でも、こんな目の表現も面白いかな、と。




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by hiroafukasawa | 2015-05-25 22:08 | 制作 | Comments(0)
さかさまにして
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 色、形、線、絵肌などなど、絵を構成する要素はいくつかあるが、色と形を比べるとどちらがより説明的かといえば、もちろん形だ。画面一面を赤く塗って「リンゴです」といわれてもピンと来ないが、白い紙に鉛筆だけでリンゴの形を描けば、それが赤くなくてもたいていの人が「リンゴだ」という(まあ、梨だって言う人もいるかも知れないが)。
 つまり、形が見て取れると、画面のなかで物の立体感とか奥行きとか位置関係などが説明された状態なので、頭が理解し納得してしまう。「この絵におかしな所はない」と思ってしまうのだ。
 ところが絵を逆さまにすると、一旦形が分からなくなるので、余計な説明がなくなり色だけで画面を見ることができる。そうすると「右側にもう少し黒い色面がほしい」とか、「黄色の線が右下にしかなくて変」とか、いろいろと気になる所が見えてくる。そこで、色のバランスやバルールを確認し修整する。そしてもとに戻すと、前より悪くなっていることはまずない。
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by hiroafukasawa | 2014-04-11 13:08 | 制作 | Comments(0)
背中を押される3
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 描きかけの絵。若い女性が、元気に歩いているところ。描いている内に、だんだんスカートが短くなってしまった(笑)。ちょっと、腕が長いかな。
 何か迷って、なんとなく前に進めないでいるときに、何かの拍子に「大丈夫、行ける」って思える瞬間ある。なにかに「がんばれ」と背中を押される感じ。

 この絵自体は、今回の個展には出しませんけどね。
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by hiroafukasawa | 2014-02-05 10:33 | 制作 | Comments(2)
下塗り3回目
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 春の公募展に出品する大作を描き始めた。地塗りして、マチュエールを作って、下塗りして、ざっとアタリを取ったところ。
 以前は、下塗りは下塗りであって、完成までの過程だからどうでもよかったんだが、最近、下塗りの段階でも、「いいなあ、この感じ」と思うことがちょいちょいある。この絵も、なんかフォーヴみたいでおもしろいなあ、と。…手前味噌みたいな話だけど。
 まあ、ここで終わりにするわけにはいかないけどね。
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by hiroafukasawa | 2014-01-24 14:22 | 制作 | Comments(0)
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 昔から、油絵は厚塗りが好きで、まず形を描いておくけどそのあと絵の具を無計画に塗っておいて、もう一度形を作っていくというやり方をしていた。最近は、下絵も描かずいろいろな色を塗っていって、その上に形を作っていって、「あ、きれいだな」と思ったところはそのままとっておくことが多い。この月も、でたらめに塗っておいた色の面の中に月の形を作ったところ、面白いのでそのままにして描き進めている。
 こういうやり方だと、自分ではまずやらないような配色や形が生まれてくるので面白い。人物の顔なら、目があって鼻があって口がある。それをそぎ落としてくと、鼻筋だけ、とかになる。だけど、その鼻筋も、自分の好きな曲線というものがある。それさえも成り行きに任せると、鼻らしく見えなくなるけど、「まあ面白いからいいか」、ということでそのままにしてしまう。当然、面白くなければ筆を入れる。
 ここでポイントなのは、自分で「まあ面白いからいいか」と思えるかどうかということなんだろうと思う。もう一つ、自分が「面白い」と思ったことが、見る人にも伝わるかどうか、ということもある。
 まあ、この絵についていえば、この月以外はなかなか面白いところが出てこなくて、 ちょっと苦戦している。
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by hiroafukasawa | 2013-12-16 13:09 | 制作 | Comments(0)
これでいいのか、いいか。
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iPhoneで撮影。
 サインも入れて、完成した作品。だけど、寒色のバルールがあってないので、まだ描くかもしれない。
 11月2日に搬入の展覧会があって、それに間に合えばいいや、と思っていたのだが、手作りの額にうまいこと入れるためには、絵が乾いてなくてはならないことに先日気がついて、慌てて仕上げたというところ。
 そもそもこの絵、下地作りの段階で、何の意味のない色の固まりが顔に見えて、そしたらこっちもあっちもというように、七つの顔が浮かんできて、それがとても面白く思えたのでそのまま絵にしてしまったという作品。
 「顔」といえばこんな感じ、というひな形みたいなものが人それぞれの中にあると思うんだが、この絵はそんないきさつなので鼻とか口とか輪郭とか、自分の中にはない顔の形が描けた。見つけた、という感じかも。
 ただ一方で、こんな偶然に頼ったような描き方でいいのかな、とも思う。
 まあ、でも、自分で面白いと思っているわけだし、これも出合いかもしれないと考えれば、・・・いいか。
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by hiroafukasawa | 2013-10-23 12:51 | 制作 | Comments(0)