カテゴリ:バルール( 17 )
バルールの狂い
 自分の絵ですが、バルールの狂いを見つけたのでUPします。モニタ上でうまく伝わるでしょうか。
 今描いているのは、この春の公募展(東京)の大作。逆さまにして、色のバランスを確認しているところ。

e0137995_1541026.jpg


 トリミングしたので、女子高生みたいだけど、これはメイドさんです。
 で、どこが狂っているかというと

e0137995_1551419.jpg


真ん中の、喉のうす紫色の面。この面が、まわりの部分に比べて奥に引っ込んで見えるので、バルールが狂っているということがわかります。

 このあと、直しましたが、そもそもこの表現で終わっていいのか迷うところです。とくに顔、目の描き方。描きすぎている感じがします。
 
 
 
[PR]
by hiroafukasawa | 2016-04-08 15:11 | バルール | Comments(0)
何を描くか
e0137995_16191837.jpg

最近やった裸婦クロッキーから。ちょっと左に寄りすぎた。

 長々と、図解まで入れてバルールについて書いたりしたが、バルールを理解したところで、結局は「何を描くか」の方が大事なんだよね。その大事な「何を描くか」が見つけられなくて、なんかウロウロしている。「何か」というのは「自分にしか描けない何か」であって、その答えは自分の中にしかないということもなんとなく分かっているんだけど、なかなか見つけられない。だから、いろいろ試してみるしかない。

 この場合の「何か」というのはテーマであって、モチーフではないんだな。上の裸婦のクロッキー会なんかでも、このモデルでタブローを作ろうと考えている人もいるみたいなんだね。モデルが来ていいポーズがあったからそれを作品にする、というのはそれはそれでいいんだけど、僕らはテーマを決めてから構図を決めて、構図に合うポーズを考える。だからクロッキー会でのモデルのポーズがいいからと言ってそれを作品にはしない。風景でもそう。作品のために絵になる風景を探すんじゃなくて、テーマを表現するために必要な風景を作るんだよね。
 だから、クロッキーはあくまでもクロッキー。ここで紹介してみたりするけれども、額装してどっかのギャラリーに飾ろうという気にはならない。
 そもそも裸婦って、おかしいでしょ? 裸の女性が部屋で立ってるって、どういうシチュエーションなんだよ?って思ってしまう。裸婦の肉体その物を描き込んで、その人物の内側にまで迫るとか、あるいはボナールみたいに水浴の図にするか、そうでなければ女性が裸でいる必然性がない。
 なんか、裸婦クロッキー一枚で長くなってしまった・・・。
[PR]
by hiroafukasawa | 2014-08-28 16:44 | バルール | Comments(2)
バルール図解2
さて、写生のような絵ならば、見えた通りに描けていれば、バルールは遠近法に沿って合ってくるはず。だけど、必然的に、遠くの山は近くの人物よりバルールが弱くなる。合ってるけど弱い(合ってるけど弱いって、どういうこと? と、この辺でわけが分からなくなる人もいるかも知れない)。画面全体を強くするためには、遠くの山も空も、バルールを強くして、見る側に迫ってくるようにしなければならない。これが「平面化」ということになるだろう。そして、平面に描きつつも空間感を出すのが、画家の腕の見せ所というわけだ。
 「バルールが合っている」という状態は、写生のような絵の場合、「遠近に添って緩やかにバルールを変化させて描けている」状態。平面化された絵の場合、「バルールの幅を狭くして、空間感を出しながらほぼ均一の強さにしていく」状態。
 「バルールが合っていない」という状態は、「物の前後関係がおかしく見える」状態と、「画面上の色面に大きな段差があるように見える」状態だ。前者の場合、手前の人物が奥の木より後方にいるように見えたりするというようなこと。後者の場合、色面が必要以上に奥に見えたり手前に見えたりすることで「合ってない」というより「狂ってる」といった方が適切かも知れない。

 この「合ってない」と「狂ってる」の違いを図解にしたかったのだが、なんだか難しいので、いずれまた時間のあるときに更新します。
[PR]
by hiroafukasawa | 2014-08-26 18:51 | バルール | Comments(0)
バルール図解1
 バルールについて、図を加えてもう一度考えてみる。バルールというのは、「色価」と訳されるもので、色の強さというようなもの。単純に色が鮮やかとか明るいとかではなくて、周りの色やその色面の形とかで左右されたりする。もちろん、遠近法とも関係ない。近代絵画では、バルールを「合わせる」のが基本で、合っていないと遠近感がおかしかったり、画面が凸凹して見える。
○絵画空間の断面
 下の図のような絵があったとして、この絵の中の奥行き感を断面図として表すとⓐのようになる。
e0137995_18131826.jpg

 これは遠近法を使った写生的な絵の場合。実際の絵の表面は平板だが、絵画世界では人物が手前にいて、山が奥の方にあるように見える。
 写生の場合は、見た通りに描けば大抵、空気遠近法に乗っ取った描き方が出来るはず。このときバルールは、遠近感に添って「合っている」状態になる。ところがバルールを上手に扱えず、ひどく狂ってしまった状態がⓑになる。
e0137995_18133159.jpg

 色の強さがまちまちなので、木の一部が飛び出して見えたり、人物の一部が変に奥に行ってしまっている。前後関係もあやふやになる。奥に引っ込んで見える色面ほどバルールが弱いという。モチーフをたくさん集めた静物画なんかを描くとこういうことが起きてくる。ただ、描いていて「おかしいな…」と気がつくことも多い。
 近代絵画の場合は、画面を平面に仕上げていくので意識してバルールを(変に弱いところがないように)「合わせていく」。なので、写生の「バルールが合っている」と近代絵画の「バルールが合っている」では、微妙なニュアンスが違うわけだ。平面絵画世界の断面を図にするとⓒのようになる。
e0137995_1815793.jpg

 「平面」に描くのと「平板」に描くのは微妙に違う。平板に描くと、絵画世界の奥行きがなくなって、ⓓのように図案的になる。
e0137995_18191826.jpg

 ⓒの平面絵画で、バルールが狂ってしまうとⓔのようになる。ここまでひどい例は少ないと思うが、ⓑと同じで、前後関係があやふやになってくる。背景の山に人物がめり込んでしまっているようなことが起きる。
e0137995_1821999.jpg

 このようなバルールの狂いを見つけ、直してⓒのような画面が出来上がると、平面的絵画の完成になる。ところが、同じようにバルールを合わせても、強い画面にならないことがある。ⓕのように、バルールを弱い方に合わせてしまった場合だ。ⓒのように絵画の表面に迫るような力がなく、絵画の表面との距離感があり、絵の世界がなんとなく奥の方に引っ込んでしまっている感じ。
e0137995_18212649.jpg

ちなみに、抽象画では平面というより、ⓓのように「平板」に見える絵があるが、平板に描いたにもかかわらずバルールが狂うとⓖのようになる。
e0137995_1822756.jpg

色面がぎくしゃくしている感じ。ただ、そういう効果を狙った作品もあるので、「狂っているからダメ」というわけではない。
つづく
[PR]
by hiroafukasawa | 2014-08-20 18:28 | バルール | Comments(0)
仕上がったつもりだったが
e0137995_12524347.jpg

 今度の個展に出品する作品の下半分。
 サインも入れて、仕上がりのつもりだったが、どうも中央の黒のバルールが合ってない。人物との空間はあるけど、左の壁と平面になっていない。奥の方へ回り込んでいく感じ。この画像の段階で、既に手直しを加えてあるのだが、いまいち改善されていない。

 この画像では、その狂いがちょっと分かりにくいかも知れない。全体を写せばよかったかも。

 もう少し、描き込んでみようかな。
[PR]
by hiroafukasawa | 2014-01-22 12:59 | バルール | Comments(0)
バルールと平面化のまとめ
 バルール(色価)を合わせるのが絵画の基本。バルールが合ってないと、遠近がおかしな感じになる。バルールが狂っていると、色面が妙に凹んだり飛び出てきたりする。
 平面化は、遠近法から卒業して、見えた通りの奥行きではなく、バルールを駆使して画面の中にその絵だけの空間を作り出すということ。

 こういうことかな。この記事だけ読んだら、なんのこっちゃかわからんと思うけど。カテゴリに「バルール」があるので、暇な人は読んでみてください。
[PR]
by hiroafukasawa | 2013-08-07 16:53 | バルール | Comments(0)
平面化 蛇足
 どう描くかより何を描くかが重要になるんだが、何を描くかがなかなか見えてこないんだな。現在進行中の気になる出来事を絵にするのも面白いし、マンガのような絵や、あるいは心の中を探って絵を描くようなことも面白い。「これにしよう、これが絶対だ」と決められない。
 麻雀でも決め打ちが出来なくて、手をこまねいているうちに他の人にあがられてしまう、ということが多いもんな。
[PR]
by hiroafukasawa | 2013-08-06 11:06 | バルール | Comments(0)
平面化 3
 平面化の何がいいかってことをいろいろ上げてみるよりも、私がなぜ平面化された絵を描いているかを上げた方が分かりやすくて誤解がないかも。私基準だから。
 高校生のときに油絵を始めて、当時は写生画を描いていた。大学に入り、先生に指導されたり、近代絵画や当時活躍していた画家の絵を見るにつれ、見えた通りに描くことが退屈になってきた。「絵に現実世界を切り取る」という仕事は私には向いてなかった。「画面の中に世界を作る」ことの方がおもしろかった。先生にブラックの画集を借りたりしたなあ。視点の移動やデフォルメ、脱固有色、抽象化などなど。そして、平面化と「バルールを合わせる」ことを覚えていった。ずいぶん時間がかかったけど。
 なんて書くと、私の絵がまるで完成されたもののように聞こえるけれど、実は平面化も中間地点のひとつに過ぎなかった。描きたいものを描きたいように描くといっても、人に見せるものなので、独りよがりではいけない。静物や女性像を描いても、「それがなんだ?」ということに気付く。どう描くかではなく、何を描くかが重要になってくる。

 そんなことで、この話はとりあえずお仕舞いかな。
[PR]
by hiroafukasawa | 2013-08-05 18:41 | バルール | Comments(0)
平面化 2
 なんで私みたいな無名の美術作家が、偉そうにバルールやら平面化やらとこれ見よがしに解説しているのか、という思いを抱きつつ、まあ、どうせそんなたくさんの人が見ているわけじゃないからいいや、とも思いつつ、要は自分がやっていることを改めて文章にして、自分でおさらいをしているわけなので、構わず続けることにする。もしかしたら、近い将来、こういうことを誰かに伝えなきゃいけないシーンもないとは言い切れないし。

 誤解を恐れずに言うと、遠近法で描くことよりも、平面化した方が、なんか高度なことをやっているような感じがする。子どもの絵が、描きたいものを素直に描いていてとても自由な感じがするけれど、中学生くらいになって遠近法を覚えると、見えたものを忠実に捉えようとするあまり、絵が硬くなっておもしろくなくなる。遠近法に縛られて見えたものを見えた通りに描こうというのは中学生レベルの延長線上だ、と言うと言い過ぎかも知れないけど。子どもの絵から中学生を卒業して、大人になって子どもの絵にもどる、それと同じことが美術史の上で起きているのだから「歴史が証明している」というわけだ。
 セザンヌ先生やピカソ先生やブラック先生が、静物を上から見たり下から見たりして、それを一つの画面に合成しちゃって、遠近法が吹っ飛んじゃったけど、静物だけじゃなくて人物も風景も同じことをやるわけで、そうなると、「現場で実物を見て描くこと」にあまり意味がなくなるよね。子どもは絵の対象をじっくり観察したりしないものね。だけど、「大人の絵描き」は子どもの絵と同じじゃまずいよね。「調和がとれた画面構成」「印象的・効果的な色や形」「バルールが合っていること」などが大切になってくる。自由(でたらめ)に描いているようで、実はちゃんと「大人な計算」が施されている。それがより高度な絵画の創作という風に思えるのだ。

 だけど世の中には、遠近法に則った写生や写実画でありながら、平面化がされている絵を描く人もいるんだよね。これはもう、「バルールの妙」としか言いようがない。

 ということは、やっぱり「平面化はバルールを合わせること」に尽きるってことなのかな。
[PR]
by hiroafukasawa | 2013-08-02 16:01 | バルール | Comments(0)
バルール 7 付け足し
e0137995_11434539.jpg


 バルールに関して、前回の画像のその後。バルールが強かったうす緑色はそのままに、まわりの色を強くしていって、さらに木の回りに空間を出した。かつてT先生に教わったことは、要するにこういう事。
 と思って最近の作品を見直すと、バルールが合っていても空間が出来ていない絵がちらほら。ちょっと雰囲気に流されていたかも知れない。反省。
[PR]
by hiroafukasawa | 2013-08-01 11:48 | バルール | Comments(0)