竹原ピストル 追記
 この前、竹原ピストルの話で、歌は「チープ」と背中合わせと書いたけど、これは、抽象画などがある程度認められる絵画と比べて歌は、という意味であって、竹原がチープと言っているわけではないので、誤解なきよう。
 中島みゆきの「ファイト!!!」歌っている動画があるけど、これなんか鳥肌ものだよね。

 CDも買っちゃいました。

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# by hiroafukasawa | 2017-05-27 10:54 | 雑記帳 | Comments(0)
靴底
 20歳だったか21歳だったか、交通事故で右足を骨折して、以来、右足首は左足首に比べて曲がる角度がいまいちで、筋肉も右足の方が少なくて細い。利き足も左になった。
 最近、太ってきたのでなるべく歩くようにしている。お昼のお弁当も、わざわざ離れた店に歩いて買いに行ってみたり。今日、たまたま靴の裏を見たら、驚いた。
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 上が右、下が左。左足の靴底の方が、明らかに見るからに減っているのだ。この減り具合の不均衡は異常だな。
 手もそうだ。前を向いて歩いている自分の視界に、自分の手が入り込む。右、左、と交互に視界に入る自分の手を意識したことがあるだろうか。あるとき、私は気付いてしまった。「あれ、右の手の方が振れてない」。普通に歩いているつもりで、右手も左手も同じように振れていると思っていたのに、明らかに左の方が大きく振れて、右手は視界の隅にギリギリ入る程度。
 なんとまあ、アンバランスな体になってしまったものだろうか。


 



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# by hiroafukasawa | 2017-05-24 08:46 | 雑記帳 | Comments(0)
竹原ピストル
 テレビを見ていたら、今注目のシンガーソングライターの竹原ピストルがスタジオライブをやっていた。その番組の中で竹原ピストルは「俺だけにしか歌えない歌を歌いたい」という趣旨のことを言っていた。また、「お客さんに『感動した』と言ってもらえるのはとても嬉しい。だけど結局、何のために歌っているかというと、自分が歌うのが好きだから」とも言っていた。私もテレビの前で、「そうそう、絵も一緒」とか思い頷いていた。
 音楽に関しては門外漢ではあるが、歌というのは、誰もがわかる言葉と文脈を、誰もが不快に思わないメロディーに乗せなければ、多くの人を感動させられないと思う。歌は、100人集めたライブならば100人に感動を届けることを目指すでしょう。でも、この「誰もが」というのは「チープ」と背中合わせなんだよね。その点、竹原ピストルはその声でずいぶん助けられていると思う。
 つまり、自分が歌うのが好きだからと言いつつも、言葉をメロディーに乗せている限り、宿命的に「誰もが」を意識しなければならない。
 絵も似たようなことが言えるけれど、歌に比べたら、ライブ感のない絵にそもそもそれほど人を感動させることができるのかっていう話もあって、極端かも知れないが例えば個展会場に100人の来客があったとして、その内の1人でも感動させることができれば成功かも、と思ったりもする。

 一方、新聞に、歌人の川野里子さんの講演の再録が載っていて、その中にこんな言葉があった。少し長いが引用すると「短歌には二つの方向性がある。一つは、私たちが生きる荒海のような時代の奥まで潜り、何が起こっているのかを最先端の感受性でしっかりと読み取ること。もう一つは、その荒海の底から浮上して、人間の根源的な存在の温かさや美しさ、深さと出合い直し、もう一度つかみ取ろうとすることだ。その二つが相互に働き合いながら、人間というものをさらに深い眼差しで見つめ、表現することだ」。
 難解かも知れないが、私はとても共感を覚えた。私なりに要約すると、「まず現代社会を現代人の感覚で捉えること。そしてそれを踏まえて普遍的なものへ昇華させること」というような意味だと思う。この方のがすごいのは、そもそも形から入っただけの普遍性など相手にしていないところ。

 絵もね、きれいな風景や美しいモデルさんをきれいに写生するとかは、普遍的な美のテーマかも知れないけれど、「誰もが」わかる絵である限りはチープで面白くないと感じてしまう。だからといって、何のバックボーンもなく抽象画に飛びついても、観る人に説得力を持って感動させることはできない。もちろん独りよがりの絵には何の感動も覚えない。
 一旦自分の中に潜り、底まで行って、そこで何かを見つけて、もう一度浮かび上がって画布に向かう。それを繰り返して、やっと1枚2枚、人に感動を与えられる絵ができるかどうか・・・。

 凡人の私は、自分の中に潜ってみても何も見つけられず、どこまで潜れば底なのかもわからずにいる。そもそも潜ったつもりでいるだけで、実は荒海の海面に近いところでただ一生懸命、手の届かない底を探しているのかもしれない。そうやって探し続けて、一生を終えるのかも知れない。



 

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# by hiroafukasawa | 2017-05-20 16:25 | 雑記帳 | Comments(0)
飽きてきた
 先日、ぼんやりテレビを見ていたら、最近の若い子たちは喫茶店などに集まっておしゃべりをするらしい。SNSで人の悪口を言ったりすると画面を証拠に残され、あとあと大変なことになるから、直接会って話すようになってきているそうだ。革新的なコミュニケーションツールが、グルッと回って喫茶店に戻ってきたわけだ。
 私も、ここ数年、このブログやtwitter、Facebookへの書き込みが大きく減った。なんかつまらなくなってきた。「アラブの春」の頃は、「SNSが世界を変える」とワクワクしたが、結局身の回りには、当たり障りのない情報しかなかった。現実世界で北朝鮮がミサイルを撃っているのに、twitterでは相変わらず美味しいスイーツの写真が並んでいる。一般市民の情報発信なんてそんなもの。ちょっと尖ったり、道を外れると叱られるので、常にいい子でいなければいけない空間。しかるべき識者のしかるべきコメントだけを追うようになって、自分自身は毒にも薬にもならないことだけを選んで書き込んで・・・。正直飽きちゃいましたね。

 ただ、ネットにはマスコミが報道しない真実もころがっているので、それを探して読むのは楽しいです。


 

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# by hiroafukasawa | 2017-04-11 18:13 | 雑記帳 | Comments(0)
500円玉イラストのその後
 最近、500円玉のイラストにコメントが付かないな、と思ってググってみた。一時期、「500円 フリー イラスト」でググると、私のこのブログが上位に表示されていた。ところが今、このイラストと同じくらいのクオリティのフリーイラストが増えたようで、私のは1ページ目にも表示されなくなった。というわけで、500円玉イラスト目当てで訪れる人が減ったようだ。
 そろそろ「平成29年」版も作ってアップしようかと思ったのだが、どうやらその必要もないようだ。なんだ、よかったよかった。余計な手間が省けたよ。ハハハハハ。


ハハハ。


 

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# by hiroafukasawa | 2017-02-22 16:23 | フリーイラスト | Comments(0)
0って
 前にも書いた気がするけど、サムホールのこと。以前書き込んだ時は、ちょっと勘違いしていたかも知れないので。
 キャンバスの大きさで、SMと書いてサムホールと呼ぶのがある。英語で書くと「thumb hole」となるらしいが、そもそも和製英語らしい。「親指の穴」という意味で、何でも昔、日本では底に親指を入れる穴が開いた画箱が売られていて、それにすっぽり入る大きさのキャンバスだからサムホールと呼ばれるようになったらしい。本当はTMのはずなのに、片仮名のサムからSMになっているのが和製英語ならではか。
 なので、サムホールという大きさは日本にしかない規格となった。まあ、そもそも日本で使われるキャンバスは日本独自の規格なので、日本でしか通用しない。西洋のキャンバスの端数を四捨五入して尺寸に直し、さらにそれを四捨五入してセンチメートルに直したので、全然違う寸法になったという寸法だ。
 ちなみに私がどう勘違いしていたかというと、西洋で、チューブ入りの絵の具が開発され画家が屋外で油絵を描くようになって、その時使った親指の穴が空いたパレットがあって、そのパレットと同じ大きさのキャンバスのことだと思っていた。もちろん、同じ大きさの方が持ち運びに便利だから。でも違ってたようだ。
 それで、もう一つ気になることがある。F0号だ。今、日本で一般的に売られているのはSM、3号、4号、6号、8号・・・というラインナップだが、1号、2号もある。昔、2号で描きたくて画材屋で注文したことがある。5号とか7号とか抜けているのも気になるが、「0」って。「0」は「無」だからね。絵の価格は号単価だから、号2万円で4号の絵は8万円だけど、0号の絵は0円かよ、って思っちゃう。これはもう、最初からあった規格とは思えない。1号より小さい絵が必要で、あとから無理矢理設定した大きさじゃないのか。

 と思ってググってみたけど、ネット上では答えに辿り着けなかった。

 気になる。


 


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# by hiroafukasawa | 2017-02-10 19:24 | 雑記帳 | Comments(0)
礼服のズボン
 私の礼服は三揃えだ。背広にベストにズボン。最近太ってきた私にとって、アジャスタ付きのズボンはウエストを調節できるのでいいのだが、ベストはキツキツだ。そんな礼服を、ちょっと多機能なハンガーに掛けてしまってある。ネクタイを掛けるフックと、ズボンを吊すクリップが付いているハンガーだ。そのクリップの力が弱いな、と以前から思っていたのではある。
 で、今日2時から知人の関係の告別式があった。朝、礼服のハンガーとワイシャツを持って、黒い靴を履いて出社した。昼休みを普通に過ごし45分頃に、そろそろ着替えるか、と礼服を見ると、なんということでしょう、ズボンがない。車の中を確認してもない。上は背広とベストをきっちり着て、下はジーンズで行くのか、お通夜ならまだしも告別式でそれはないだろう(お通夜でもそれはないが)。葬儀に行かずに、誰か行きそうな人に連絡を取って香典だけ立て替えてもらおうか、とも思ったが、すでに1時10分前、いまさらそんなお願いをしたら迷惑に違いない。斎場とは反対方向だが、これは、家まで戻ってズボンをはいて行くしかない。

 1時10分過ぎぐらいに自宅に到着。案の定、ズボンは洋服ダンスの中に落ちていた。焼香を終えて会社に戻ったらもう一度着替えるので、着ていた服をバッグに詰め込みながら礼服に。ところが、なんということでしょう、ネクタイがない。朝、ハンガーのフックにかかっていたことは確認していた。会社を慌てて出てきたので、駐車場にでも落としたのかも知れない。シルクのネクタイは思いの外スルッと抜けるものなのだ。これはいかん、会社に戻ってネクタイを探すか? でも、確実に駐車場にあるとも限らない。もう一度「行かない」という選択肢が頭をよぎった。むしろ「行くな」という神様のお告げではないか、とも。いや待て、ネクタイなら買えばいい。ズボンはそうはいかないが、ネクタイならどこかその辺の店に売っているはず。
 というわけでとりあえず出かけ、その辺の店でネクタイを調達。950円。時間的には、一般道では絶対に間に合わない。高速道路を選択する。ところが折からの強風、アクセルを踏み込んでもなかなかスピードが出ない私の軽自動車。斎場が最寄りのインターチェンジのすぐそばだったこともあり、なんとか1時50分には到着。ホッと一息と思いきや、告別式はもう始まっていて、もうかなりの人が焼香を済ませていたようで列も出来ていない。ほとんど立ち止まることもなく受付と焼香を済ませ、斎場を後にしたのは、なんと1時58分だった。2時からのはずなのに。ということは、例えば一般道を走ってきて2時20分とか30分とかに着いたとしたら、ものすごい恥ずかしい感じになっていたかも。いやむしろ、式自体が終わっていたかも知れない。

 黒いネクタイは、会社の駐車場にあった。誰かが拾って目立つところいに置いておいてくれた。

 疲れた。


 


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# by hiroafukasawa | 2017-02-07 15:28 | 雑記帳 | Comments(0)
速筆女性
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 最近、また小品を描き始めた。意図もなく下塗りをしたキャンバスに、ササッと書道のように人物を描いてみた。右腕がおかしいし、髪の毛もないし、青のバルールが合ってないし、これを現状のまま作品として出品することはしないけど、こんな感じもありかなと思う。なので、ここからどう手を入れようか迷ったりする。

 先日、新聞歌壇の選者をしている歌人が、「自分にしか詠めない歌を如何にして作るかが重要だ」というようなことをおっしゃっていた。五七五七七の31字で表現するわけだから、大変なことだと思う。
 絵も同じだよね。その作家にしか描けない絵を描けるようになれたら、それは一つの到達点だと思う。だけど、絵の神様が「あなたの絵、そこが到達点だよ」と教えてくれる訳じゃない。
 まあ、死ぬまで試行錯誤の繰り返しなんだろうな。

 

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# by hiroafukasawa | 2017-02-01 15:27 | 制作 | Comments(0)
雪が降って
 昨日は夜中から午前中にかけて雪が降った。甲府盆地を取り囲む山々にも雪が積り、冷蔵庫のように街を冷やす、本格的な冬の到来・・・。
 ていうか、まだ11月なんですけど・・・。一昨日の夜、慌てて車2台のタイヤをスタッドレスに換えたけど、たいして積もったわけでもなく、今日は快晴で、数日後には山の雪も溶けちゃうんじゃないかと思う。それとも、いまからバンバン雪が降ったりするんだろうか。
 と、そんなこと考えていると、どうしても2年前の大雪を思い出す。あれはもう、完全にトラウマだな。


 


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# by hiroafukasawa | 2016-11-25 15:01 | 雑記帳 | Comments(0)
来年はどうしよう
 毎年恒例の「笛吹市文化祭」の愚痴。
 例年、市の体育館に衝立を持ち込んで絵画、写真に切り絵、押し花、盆栽まで展示する文化祭。今年は特にひどかった。石和のスコレーセンターが会場だったのだが、ロビーやら廊下やら、飾れそうなスペースには全て衝立を立てての展示。絵画は、吹き抜けの2階の狭い通路。暗いし、引きはとれないし、絵と絵の間隔はギュウギュウだし。
 まあ、要するに、なにかカルチャー的なことを趣味にしている人に声をかけて、なんでもいいから飾りましょう、という地区の文化祭の延長線上でしかないんだよね。人に見てもらうことなんか考えてない。
 地区(旧町村)の展示はね、まだいいんだよね。出したい人の作品をだいたい全部飾れるから。私は基本的に出したくて出している訳じゃなくて、出品を頼まれているから出しているわけだけど、なかにはこれを励みにしている人だっているでしょう。笛吹市の展示は、地区から4〜5点、ことしは3、4点だった。私の作品はいいから、他の人の絵を飾ってもらっていいんだけどね。愛好家レベルの作品の中に、私の絵があって、私の絵を飾ることで他の愛好家の絵が飾られないのであれば、これはちょっと釈然としない。誰も得をしていない状態なんじゃないかな。
 毎年書き込んでいるけど、市レベルであれば、やはり絵画は絵画だけを集めた展覧会をするべきだよ。

 来年は、どうしよう。考えちゃうな。笛吹市の文化祭。


 
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# by hiroafukasawa | 2016-11-21 09:19 | 雑記帳 | Comments(0)