先生と呼ばれて
 私がまだ20代の頃、私がリーダーでグループ展をやっていた。そこに、おばさんの取り巻き3、4人を連れた「先生」と呼ばれる女流画家のAさんが現れた。会場の絵を〝上から目線〟で批評した後、我々に「あなたがたはタブローってご存知?」とか言ってきて不愉快な思いをさせられた。

 この所このブログで「バルール」や「平面化」の話を書き込んだが、なんでこんなことを描いたかと自問すると、どうも私の中で「誰かに絵の指導したい」という欲求が強くなってきているようだ。それはつまり「先生はすごい」と言われたい、というところに繋がる。
 基本、美術作家なんて「被承認欲」のかたまりみたいなもので、作品と画業で世に認められるのが本来なのだが、それがままならないと、子育てを終えてから絵を描き始めたようなおばさんたちの集まりの中でちやほやされて悦に入ってしまうという落とし穴がある気がする。さらに自分で「先生である私はすごい」と勘違いすると、上記のAさんのように若い作家の展覧会場で高飛車な態度をとっても平気に
なってしまう。恐ろしいことだ。

 オーソドックスな風景画などを集めたグループ展や、絵画愛好家の作品発表会などに行くと、たまに絵画上級者然としたおじさんが、絵画初心者と思しきおばさんたちを集めて展示作品の解説や批評をしているのに出くわす。たぶん、そのおばさんたちに請われて解説しているものだと思うのだが、ほかの観覧者がいる前で、正直「よくやるなあ」と感心してしまう(その人より上の、大御所のような先生がその場に現れたらどうするんだろう)。例えば作品発表会みたいな会場で、絵の作者に頼まれてその方の絵だけについてアドバイスするならまだわかる(作者といろいろやりとりしているうちに、自然にギャラリーが集まることもある)。あるいは、自分たちのグループのメンバーの作品を、鑑賞の一助として解説するならわかる。しかし、その会の講師でもないのに会場の絵を手当たり次第に批評していくのは、「絵の先生と呼ばれる自分」を楽しんでいるようにしか見えない(実際に、なんか生き生きとした表情をしておられる)。
 いや、その「先生」がその会場で人を集めて絵の批評をする何か正当な理由とか、会の慣例とか、それなりのいきさつとか、ハタで見た限りではわからない事情があるのかも知れない。でもまあそれはそれとして、私は気をつけよう、と思った。
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by hiroafukasawa | 2013-08-10 13:20 | 雑記帳 | Comments(0)
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